水色水曜日 ヒロアカ - 切島鋭児郎(成人)
夢か現かとたゆたうまにまに、サァーとコンクリートを叩いている水音がして瞼を開けさせられた。
白いカーテンの向こうはすっかり今日を動き出している色をして、だけど部屋の隅まで照らし切らずに。
雨かな。ヤダな。今日は出勤なのに。
それに、雨の日は晴れの日以上に、不機嫌なんだよな。
「雨?」
ベッドから足を下ろそうとした俺の後ろでくぐもった声が生まれる。
枕にうつぶせて、起きてやるものかと言わんばかりにふとんに包まる背中。
「ぽいな。天気予報雨だったっけ」
「ん……なんか見た気もする……」
「起きろよ、雨なら髪時間かかんだろ」
んんー……と埋もれる頭は唸るだけで一向に起き上がってこない。
オレはさっさとベッドから立ち上がり、どこだどこだとパンツを探しあて足を通す。
洗面所でバシャッと顔を洗いゴシゴシ拭いて目やにも取って、よし! と頬を叩き目を覚ます。
キッチンで冷蔵庫からペットボトルを取りだしごくごく喉を潤し、ハムとたまごとキャベツを取りだし、フライパンと味噌汁の入った鍋に火をつけた。
「なぁー、パン? ごはん?」
声を張り上げども返事がない。
「おーい、起きろってェ」
油を引いたフライパンにハムを敷いてたまごを落とし入れる。
ジューとたまごが白くなっていく合間に遠くから「パンー……」と聞こえた。
キャベツを刻んで水にさらして、食パンをトースターに入れた。
「今日早?遅?」
「……」
寝室に戻りカーテンを開けると僅かに光度は増したが、やはり外は雨、鈍い空模様。
「一日雨かな。だったらオレはたぶん早いよ」
「……」
「オーイ、いい加減起きろってェ」
「んんー……」
いまだ枕に埋もれてる頭の上で声を張り上げると、唸り声がようやくシーツから出てきてベシッと白い手がオレの顔面を叩いた。
「うるさい……」
「うるさくしてんの、起きろって、メシ!」
「雨ヤダァ……」
「雨でも晴れでも仕事イヤなんだろ、だったらどっちでも一緒! ほら起きろ!」
「んんーっ!」
しわくちゃに不機嫌な顔を髪の中から探し当て、引っ張り起こす。
ふとんの中からぷるっと胸が零れ出て、首元から胸周りまで広くはびこる赤黒い痕跡を白い手がボリボリ掻いた。
鈍い光の中でその光景はやたらと卑猥に見え、目が張り付いた。
「オレきのうこんなにつけちゃったか」
「ん……なにこれ、ひど……」
「見えない服着なきゃだな」
「じゃあ見えないとこにしてよ」
ふとんの中からシャツを探して、ぐしゃぐしゃの頭からかぶせて隠す。
文句ばっかで、寝起き悪くて、しかめっ面で不機嫌で。
なのになんでかなぁ。
寝起きの匂いも、シャツの中からツンと突き出てる胸も。
ふわふわの髪も白く伸びてる脚も影が落ちてるまつ毛も。
ガマンきかないくらい、なんもかんもかわいい。
「あーヤベ、たってきた」
「……」
ようやく開いた目が睨むように間近のオレを見て、またベシッと顔面をはたかれる。
例えば友達同士の悪ふざけでも、叩かれると思うと反射的に”個性”出ちゃうもんだけど。
この白い手が飛んでくるときは意地で堪える。
赤くなったり傷んだりしたら困るから。
いや、むしろ、この手からもたらされる痛みなら感じていたいから。
「鋭児郎」
「ん?」
腹の底からふつふつと湧き上がってくる欲情が、正しい思考も朝の忙しい時間も忘れさせて、またオレを桃色の夢の中へ引き戻そうとしてくるけど。
「焦げてる」
「……あ!」
焼きすぎたトーストの匂いが寝室にまで届いてきたから、オレたちは水色の現実を生きねばならない。
「先行ってるぞ、遅刻すんなよ」
「ねぇ、早く終わるんなら買い物してきてね」
「オレが早く終わるのと事務終わる時間と似たよーなもんだろ」
「一緒になんて行けないでしょ」
「ハイハイ書き出しといてな」
のろのろと朝支度もはかどらず、いまだオレのシャツ一枚で。
歯磨きシャコシャコ、いってきますのキスも出来ず。
彼女とか。同棲生活とか。
なんか……思い描いていたものとはどこかずれてる気もするけど。
「ちゃんとカサさしなよえーじろー」
「おー」
雨でも晴れでも、ひとりだった時とはぜんぜん違う。
景色も感情も繰り返す毎日も、キラキラ芳醇に彩られていく。
心弾んで、水たまりも飛び越え駆け出したくなる。
水色の水曜日。
(現在お礼文1)
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