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*** とある犬の話 ***


吾輩は犬である。名前はまだ無い。

かつて1個の人間たちの住まいで生を受けたのだが、母親と兄弟たちと離れ、別の人間の住まいへ移され、そこで暮らしていた。
人間というものは、上手く接していられさえすれば、住みよい家に快適な寝床、美味しい食事に素晴らしい娯楽すらもたらしてくれるのだが、接し方を間違えると、途端に恐るべき敵となって襲い掛かってくる。
吾輩は、どうやら接し方のまずい犬であったらしく、住まいを追われ、家なき犬となった。その後、住まいに迎えてくれる人間はしばらく見つからなかったが、時々、気まぐれに食事をくれる人間の恩恵にありつき、生を繋いだ。

そうして長い時を過ごし、年寄り犬となった吾輩は、無駄なエネルギーの消耗を避け、日陰にうつ伏せて休んでいた。この辺りは人間の子供や、乱暴な人間が少ない。
吾輩の目の前を、1人の人間の男が通り過ぎた。曇りの夜空のような暗い服をきた、細身で長身の人間の男だった。彼は一瞬、吾輩を一瞥し、すぐに視線を前へ戻して去っていった。吾輩は、自分でも分からない何かに突き動かされ、食事をくれようとした訳でもない彼についていった。

しばらく彼の後についていくと、大きな建物の前に立っていた別の人間が彼に声をかけた。立っていた人間の様子からするに、どうやら彼は上位の人間であるらしい。
吾輩の話をしたようだ。彼が振り返り、こちらを見た。この建物は、彼の住まいだろうか? 勝手についてきた吾輩を追い払うだろうか?
なぜ彼に惹かれたのか知りたい。

吾輩は、いつか見た子犬の真似をし、彼に媚びを売ってみることにした。尻尾をパタパタと揺らし、頭を彼の足元に擦りつけてみる。これで喜ぶ人間もいるが、激高する人間もいる。攻撃的になるようなら、すぐに逃げねばならない。
彼が何か声を発した。吾輩に向けられている。穏やかな声だ。たぶん、ついてきてもよいということだろう。

後になって、その建物は、彼の家ではなかったことがわかった。彼は、吾輩を彼の家に連れて行ってくれた。彼の家には、年老いた穏やかな人間の男と女も一緒に住んでいた。ありがたいことに、子供はいなかった。
老いた男は、固くて乾いた食事をくれた。人間がよく犬に恵んでくれる食事だ。まずいものではないのだが、年老いた吾輩には、この固さと乾きが少々こたえた。なかなか口をつけられずにいると、あの彼が、暖かくて柔らかい白くて美味いものを食べさせてくれた。後にそれは、人間が肉を変化させたものであることがわかった。今までで一番美味い食事だった。その後、彼はそれを毎日くれた。

吾輩は、相変わらず接し方のまずい犬のままであったと思うが、彼は、惜しみなく恩恵をもたらしてくれた。七日に一度、彼と共に歩く散歩も、穏やかで心地よいものだった。
一緒に過ごすうちに、彼に惹かれた理由がわかってきた。彼も、人間への接し方があまりうまくない人間なのだ。吾輩は、何度か、他の人間たちが彼に対して敵意を抱いている、と感じる場面に遭遇した。我々は、種族こそ違うが、同じ境遇を持つ仲間だったのだ。

彼は時々、何日も何日も帰らないことがあった。吾輩には、彼が何故帰らないのか知る術がない。彼が生きているのか、死んでいるのかすらわからない。なので、彼が無事に帰ってくると、いつもホッとする心地であった。

ある日、彼は、何事か呟きながら吾輩をなでた。吾輩には人間の言葉がわからない。だが、それが別れを告げるものであることが何故か理解できた。そして、彼を引き止めることができないということも理解できていた。

外は嵐だった。彼は、扉を開け、長く垂らした服を風になびかせながら出ていった。そして、彼は二度と帰らなかった。

その後、吾輩は、老いた人間の夫婦に連れられ、他所の小さな家に移された。老いた男は、彼の代わりに吾輩に白い食事を与えてくれた。吾輩は、よく手入れされた日当たりのいい芝生の上にうつ伏せ、1日のほとんどを眠って過ごした。
目が覚めたら、家の周りを一周し、彼が迎えに来ていないか探す。たぶん、もう二度と現れないだろうことは分かっているのだが。

あるとき、心地よいが、見慣れない場所にいた。あの小さな家も、老いた人間の夫婦も見当たらない。
代わりに、彼がいた。ああ、随分と久しぶりだ。彼がリードと首輪を持っている。散歩に連れて行ってくれるらしい。

彼が首輪をつけるのを待って、吾輩は彼と散歩に出かけた。



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