とあるご隠居さまとお供 ver.マグリュ
ふわぁと思わず漏れた欠伸に、いつになく気が緩んでいることを自覚する。
いくら休息のために追い出されたからといって、これではあまりにもだらけすぎだ。
ぺちぺちと頬をたたいて、軽く気合いを入れる。どうせすぐに、仕事に戻ることになるのだし。
「あっ、リューグ発見」
馴染んだ声に振り返り、さっと居住まいを正す。
しゃりしゃりと草を踏み鳴らしながら、主がいつもの笑みで近づいてきた。
突然姿を見せた主に、しかし驚いたりはしない。いつものことといえばいつものことだし、だいたい彼が傍にきていたのは気配で大分前から気が付いていた。
「もうやっかいごとですか、ご隠居」
いまだ云い慣れない敬語で問いかけると、彼がむっとしたように頬を膨らませる。
いい年をした大人が、それも男がそんな仕草をするものじゃないと、この場にあの口煩い兄がいれば怒鳴られたことだろう。なんとなくそんなことを思って、ふっと口元が綻んだ。
「マ・グ・ナ。約束」
「ああ、おひとりで?」
「そうだよっ。というか、リューグなら最初っから分かってただろ!」
「まさか」
「むむっ・・・りゅーぐー・・・」
遂に痺れを切らしたのか主にじと目で睨まれて、ぶはっと吹き出す。
くつくつと肩を揺らしながら、詫びの意味をこめて片手をあげた。
「や、わり。つい」
「ついって!?俺本気で傷つくんだから!」
「悪かったって」
この主は不思議なもので、ただの供でしかない自分に敬語を使われることを酷く嫌う。それでもさすがに公の場で気安く話すことは憚られるので、ふたりきりのときだけは言葉を崩すことを約束していた。
何故、そう問いかけたら彼は満面の笑みを浮かべた。
『だって好きだから』
訳が分からない。いや、分かりやす過ぎるくらい分かりやすいのかもしれないが。
まあそんな人物だからこそ、こうしてこの旅に同行し、自分などが供として傍に控えているのだろう。
「んで、仕事か?」
「違うって。今日はお休みっていっただろ」
「じゃあなんだよ」
どうせろくなことじゃないと、ひょいと肩を竦めて問いかける。
そして彼はやっぱりいつもの笑みで、にっこりと笑った。
「別に。リューグに会いたかっただけだよ」
「はあ?」
意表を突かれるというのは、こういうことをいうのだろうか。
予想外どころじゃない予想外の言葉に、思わず目が点になった。
己の記憶が間違いじゃなければ、確か数十分前までは一緒にいたと思うのだが。
「何言ってんだよ。さっきまで一緒にいただろうが」
「え?馬鹿だなぁ、リューグ」
「・・・・・・マグナ?」
にこにことしている彼の名を、僅かの怒気をこめて呼ぶ。
誰に馬鹿にされても、こいつにだけはされたくない。仮にも主人に、それも失礼な話なのだが。
不意に彼が一歩近づいてきて、すっと腕を掴んでくる。無理に振り解くことへの一瞬の躊躇が隙となり、次の瞬間にはぎゅっと抱きしめられていた。
「っ、おい!マグ・・・」
叫びかけた声は、彼の胸のなかに吸い込まれていく。
ふっと甘い吐息が、耳を擽った。
「あんなのはイッショって言わないんだよ?」
「なに、言って・・・」
「本当はずっと、ずっとこうしてリューグと一緒にいたい。でもいまは、それはイケナイことだから」
だから今は離さない、聞こえないはずの声が届いた気がして、びくりと身を震わせる。
彼は耳元から唇を離して、抱き締める腕に力を籠めた。
与えられる温もりはいつかきっと手放さなければならないもので、深入りして傷つくのは間違いなく自分。それでも尚突き放せないのは、すでに深みに嵌まっているからか。
「・・・マグナ」
決して音に出来ない想いを唇に乗せて、彼の服をぎゅうっと握り締めた。
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