DVDと高緑




ああ、珍しいな。
もう見慣れたアパートの扉の前、俺は慣れた手つきで鍵を回した。通路に面した窓は開いていて、換気扇は音を立てて、家主が既に帰宅していることを示している。木曜日、真ちゃんは六限まで授業が詰まっている筈だから、この時間帯にはいない筈なのだけれど、休講だったのだろうか。あいつに限ってサボリなんてことは考えられないので、体調不良でないことを祈る。まあ祈るまでもなく大丈夫だろうと理由もなく確信しているけれど。

「真ちゃんおかえり」
「何故帰ってきた人間がおかえりというのだよ」
「高尾和成ただいま戻りました!」
「おかえり」

リビング扉の向こうから、真ちゃんの呆れた声だけがする。ここは真ちゃんの家であって俺の家ではない。本来なら。本来なら、だ。実際、鍵を貰ってからここは俺の家にもなってしまっている。週の半分近く入り浸っているからこの挨拶すら手馴れたものだ。押入れには俺の服も一緒に入っているし、下手すると明日の講義の教科書もこの家にある。少し蒸した廊下を抜けて扉を開ければ、ソファに座った真ちゃんがつまらなさそうにテレビを見ていた。うっすらとクーラーがかかった部屋は少し空気が悪いけれど居心地が良い。

「真ちゃん、今日休講?」
「突然な」
「まあ教授、結構自分の都合で勝手に休むからな」

俺のところも、先週、他大で講義やるからって休講になったわ。と笑えば、自大の講義をサボって何をやっているのだよ、と真ちゃんの溜息。まあ、俺もそう思う。俺が悪いわけでもなく、休講になってラッキー、くらいしか思わなかったけど。
荷物を適当に床に降ろして、テレビに目を向けてみればそこには暑苦しい顔した俳優が銃を片手に何か叫んでいた。ローテーブルの上には、レンタルビデオ屋の青い袋。

「あれ、真ちゃんこれって」
「お前が借りてきたDVD」
「だよな」

アメリカの、こってこてドラマシリーズ。熱苦しい男の友情と家族と国家と銃と陰謀。派手な演出とうるさい音楽。気晴らしには最適な中身の無さと、やけに激しい展開。深い意味を見いだせる筈もなく、本当に時間つぶしの娯楽だけれど、その気楽さが俺の性に合って結局シーズン2に入っても見続けてしまっている。いや、やっぱ面白いんだこれ。真ちゃんの家の方がテレビがでかいので俺はたいていここで勝手にテレビを借りて見ている。結果真ちゃんも全て一緒に見ている。好みじゃないらしく、だいたい不機嫌な顔をして、「何故こいつはわざわざ面倒な道を選ぶのだよ」とか「都合良くジープが突っ込んでくる筈ないだろう」とか文句を言う。言いつつ、なんだかんだ一緒に見ている。

「面白い?」
「つまらない」

ぶっきらぼうな言葉には本音しか見えなかった。本当につまらないのだろう。けれど視線は決してテレビから外さない。俺が帰って来た時からずっと。俺の方に目もくれない。つまらないものにここまで真面目に向き合えるんだからこいつの成績が優秀なのも判るってもんだった。
テレビと真ちゃんから視線を外して、俺は冷茶を飲むべく台所へ向かう。今あいつが見てる回を、俺はもう見終わっているのだ。真ちゃんが補講とかで帰ってくるのがいつもより遅かった時に退屈だったので一人で見た。別に、一緒に見る必要も無いのだ。俺が、誰かと一緒に見るほうが好きというだけで。そもそも真ちゃんはこれが好きでもなんでもないのだから問題があるはずもない。後で帰ってきた真ちゃんに、これ先見ちゃったよ、と言えば、そうか、とだけ返された。そのまま、期限ギリギリまで部屋におきっぱにしてしまっていたのだけれど。まさか一人で見てるとは。つまらなさそうにしてただけで本当は面白かったのかな、と思って聞けばあの返事だ。

「じゃ、なんで見てるのさ」
「どうせお前はまた続きを借りてくるのに、その時話がわからないのでは癪だろう」

いや、これぶっちゃけ一話見なくても真ちゃんなら絶対話判りまくるっていうかむしろ判らない方が難しいって言うか。その言葉はコップに注いだお茶と共に飲み干した。まあ、彼の性格を思えば、話が抜けているのに耐えられないのもなんとなく納得できなくもないけれど。

「しかし本当につまらないな」
「そこまで言いながら見るなんてセルフ苦行かよ」
「全くだ。だが一人で見るくらいならお前と見たほうがまだマシなのだよ」

こちらを振り向きもせずに言われたその言葉に他意なんて無いんだろう。だから多分真ちゃんは、これをつまらないと思っていて、まだ俺と一緒に見るほうが面白いと思っていて、だけどそれでもつまらないものはつまらなくて、それでも俺が借りてくるもんだから、一緒に観ようと俺に追いつくために今一人で見ているのだ。なんだこれ。だったら、別に、最初っから最後まで見なきゃいいだけの話なのに。俺に付き合う必要はないのに。そこに思考は至らないらしい。

「……実は、今晩見ようと思って続き借りてきたんだけど」
「そうか」
「三本」
「三本?!」

ようやく視線をこちらに向けた真ちゃんの表情には驚愕と呆れが浮かんでいる。そういや今日ちゃんと顔合わせたのこれ初めてなんじゃねえの。かといってその顔がいつもと特別違うなんて筈もなく、いつも通りの姿に俺は意味もなく安心する。空になったコップが俺の左手でぬるくなっていく。

「……期間は」
「ん?一泊」

俺の視界の端で、主人公が爆発する車から飛び降りた。耳にうるさい派手な音。いかにもな爆発。今そこが一番いいとこなんだけどなあ。真ちゃんはしかめっ面で俺の方を見ている。

「いや、俺明日午後からだし、一晩あれば見れるかなーって思って」
「俺は一限からだ」

その言葉の意味を俺は理解して、笑って謝った。ごめん、次からは一本づつ借りてくるわ。だから今日は許してね。












何かありましたらこちらへ(拍手だけでも送れます)
あと1000文字。