江戸瞽女の唄~メーデーの狼男と警察官


  風薫る五月初日、みわと隼人は少し遅めの朝食をとった後、瞽女宿を後にした。日差しが強さを増してはいるが、仕事に差し障るほどでもない。むしろ梅雨入り前のこの時期にどれだけ稼げるか、そちらのほうが重要だ。隼人も得意先をどのような順番で回れば効率が良いか考えつつ清洲橋通りに出たその時である。

「しまった・・・・・・今日はメーデーだった」

 みわの手を強く握りつつ、隼人は自分の失態を呪った。その視線の先には鯉のぼりよろしく赤い組合旗が翻り、数万にも及ぶ労働者らが越中島方面へ向かって行進している。この大行進にぶち当たってしまっては、目的地である省線電車の上野駅にたどり着くこともままならない。というか、行列が過ぎ去るまでは清洲橋通りを横切ることさえできないだろう。

 日本でも大正九年から取り入れられたメーデーであるが、年々その主催地と参加者は増加していた。更にその派手派手しい行列を見物しに近県からは人が押し寄せ、今にも暴動が起きそうな気配を醸し出している。
 尤もそんなことが無いよう、数千人にも及ぶ警察官が更新進路沿いに配備されいるが、メーデー参加者や見物人の数に比べると心許ない。それ故、隼人も大人しく行列が過ぎ去るのを待っているのだが、10分、20分と経過しても行列はなかなか終わりそうになかった。流石に隼人も苛立ちを覚え始めた、正にその時である。

「おい、隼人?隼人じゃねぇか!何でこんなところにいるんだ?」

 無駄に大きな声が隼人の名を呼ぶ。その声がした方向に隼人が視線を向けると、大柄な警察官が隼人に駆け寄ってきた。どうやらメーデーの行列そのものの警護をしていたらしい。

「あ、今流さん!ご無沙汰してます。良いんですか、行列の警護から勝手に外れちゃって」

 近寄ってきた警官の顔を見るなり、隼人は安堵の表情を浮かべた。今流は東京市の巡査で、普段は大道芸人やテキ屋など路地商売の営業申請を受け付ける部所を担当している。申請をサボる業者が多い中、東京市での活動をする度毎回律儀に申請書を提出する隼人には好印象を抱いているらしい。
 制服の所為でかなりの威圧感を醸し出している今流だが、よくよく見るとかなり若い。隼人より5歳ほど、もしかしたら2,3歳くらいしか歳が離れていないかもしれない。


「実はメーデーってことを忘れていてこっちに泊まっていたんです。この人だかりじゃあ省線電車に乗るのも難しくって・・・・・・流石に今流さんでもあの行列をかき分けるのは無理ですよね」

 すると今流は『お前一人だけならやってもいいけどな』と付け加えた後、みわに視線を向けた。

「流石におみわちゃんのその目じゃ難しいな。あと1時間位はこの行進が続くだろうからどこかの茶屋で休んで・・・・・・」

 その時である、みわが不意に厳しい表情を浮かべ、ある一点を指し示したのだ。

「今流さん。あのひと・・・・・・」

 みわが指差したその先にはメーデーの行列に参加している若者が居た。右頬に大きな傷があるのと、やけに目がギラついている以外は、他の参加者と何ら変わるところはない。むしろブラックリストに掲載されているリーダー格の青年達に比べたらおとなしい方だろう。だがみわは震える声で今流や隼人に訴えた。

「あの右の頬に傷がある人・・・・・・人間じゃありません」

「何だって?確かに、おみわちゃんに『見える』って事はバケモンなんだろうけどさ」

 今流も素人ではない。全盲でなければなることさえ出来ない瞽女審査の厳しさは充分すぎるほど知っている。そんな全盲であるみわが『見ること』ができる、というのは間違いなく人外のもの――――――妖怪だろう。そしてそれに追い打ちをかけるように隼人が信じられないことを口走った。

「ああ、ありゃ外国産だな。雰囲気からするとソビエトあたりの妖かし――――――狼男か吸血鬼ってところだな。共産国の妖怪だからメーデーに参加していてもおかしくないか」

 ソビエトの妖かし――――――隼人の一言に、今流は素っ頓狂な声を上げる。

「ソビエトだぁ?どう見ても日本人、百歩譲っても朝鮮か支那の人間だろう、ありゃ。ソビエト人ってぇのは金髪で青い目をしているんだぞ?黒髪黒目で黄色い肌のソビエト妖怪だなんて・・・・・・」

「別に信じてくれとは言いませんよ。だけどあの男は絶対に騒ぎを起こしますよ。だから警戒を強めていたほうが」

「それくらいなら別に構わねぇさ。ブラックリスト入りはまだしてねぇようだけど、これからするかもしれねぇし」

 隼人の忠告に対し、警察官とは思えぬ砕けた口調で応じると、今流は仕事へと戻るため、その場から離れた。

「大丈夫かなぁ、今流さん」

 遠のく足音を聞きながら、心配そうにみわが呟く。

「大丈夫だろ、あいつなら。狼男だろうが吸血鬼だろうが拳骨で叩きのめすだろ。護符も呪文も必要ないさ」

 聞きようによっては投げやりな隼人の言葉にみわは呆れる。そんなみわの肩を抱き隼人は踵を返した。

「暫く茶屋で休むぞ。今流さんも言っていただろ。1時間はメーデーの行列が続くって。こんな状況じゃ仕事にもならない」

 更に力がこもった隼人の手に、みわは頬を赤らめる。

「あの・・・・・・手を引いてもらえば大丈夫だから」

「文句を言うな。お前が思っている以上にここは混んでいる」

 ぶっきらぼうにそう言うと、隼人はみわを抱きかかえたまま混雑をかき分けていった。




UP DATE 2017.4.26




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