旅立ちのススメ1/3

 リッカちゃんとアインツが来てくれて、着実に堅実に宿としての基盤を固めて、お客様のリピーターも増えてきたわ。あの廃墟かと勘違いされるセントシュタイン最安値の最低の宿って悪評ともおさらば。最上階のスイートルームも昇降機も復活し、全室がリフォームされて新築のよう。世界宿屋協会に登録も済み、協会お墨付きの安全でサービスの行き届いた宿と認められた。
 先日、ウォルロのリカルドのお墓にも報告してきたの。世界宿屋協会の金印が捺印された、認定証。認定された宿屋なら、フロントの後ろに額に飾られる価値のあるもの。もう貴方に心配させずに済むわって、お墓にワインを供えて私も飲んだ。
 でも、良い事ばかりではない。
 常連達には悪いけど、宿泊の値段を上げたのよね。
 勿論、部屋のグレードを低くし食事の提供を行わない素泊まりなら、セントシュタインの宿の相場で考えればかなり良心的な値段よ。宿がリフォームしたり、お客さんが来るようになって騒がしくなり、雰囲気が変わったから長期宿泊の契約を更新しなかった常連は多い。今回の値上げでついに最後まで留まっていたケネスが、音を上げた。
「拠点を移す?」
 いよいよ去るのね。寂しさを感じながら、ケネスの言葉を鸚鵡返す。私の前で紙巻きを吸っていたケネスが、あぁ、と真っ白い煙を吐き出した。
「今、フィオーネ姫主体で、ルディアノ復興事業が賑やかだって話は聞いてるだろう? エラフィタを拠点にして、本格的に参加して欲しいって誘われてる。すごく稼ぎの良い仕事だ」
 そうかもね。私は酒場の女主人として、やんわりと肯定した。
 セントシュタインがルディアノの滅亡に、間接的に関わったという話は城下町でも噂になっている。でも、セントシュタインが魔神と契約して、ルディアノを対価に差し出したという内容が正確に伝わる訳が無い。背鰭尾鰭に鰓までついて、今じゃ、ルディアノのお姫様を巡ってセントシュタインの王子様とルディアノの美男子である黒騎士が争った末に、戦争になってルディアノを滅ぼしてしまったという全然違う話になってるの。噂って当てにならないわね。
 とにかく、セントシュタインはルディアノの復興に本格的に乗り出し、北がとても賑わっている。滅びの森というかつてのルディアノの領土は非常に危険で、護衛の仕事は高騰している。滅びの森に行った経験から先導が出来るケネスは、特需の恩恵を最も受けている人間だった。
「貴方がいなくなったら困るわね」
「まだ明るいのに、もう酔ってるみてぇだな」
 帳簿で赤い髪を叩いて、景気の良い音を響かせた。まだ一滴もお酒は飲んでないわよ。
 常連のケネスはこの宿屋では貴重な男手だった。重たい酒樽や酒瓶を詰め込んだ木箱を運んでくれるし、食事の材料の買い付けに付き合ってくれる。酒場の酔っぱらいを上手くあしらって、暴れ出したら叩き出してくれるわ。頼むと嫌そうな顔はするし、やりたくないとか口では言うけど、なんだかんだやってくれる。
 特に宿の補修や食材の確保に世界中を巡ったアインツに、付き合ってくれるのは助かったわ。ケネスはガラの悪さの割には面倒見も良いし、武術の腕もあって護衛としても申し分ない。アインツを外に出しても不安に感じなかったのは、ケネスのお陰よ。
 ドミールで行方不明になった時は、本当にありがたみが身に染みたわ。
「リッカやアインツが寂しがるわよ」
 流石のケネスも困ったように視線が泳ぐ。
 とは言え、ケネスを引き止める条件が出せないのは事実だ。ケネスは宿の事を細々と手伝ってくれている関係で、賄い食だけれど食事を無料で提供している。泊まっている部屋も、彼がここに長期滞在する時に比較的状態が良かった従業員の区画にある部屋だ。
 賄い食を一緒に食べて、泊まる部屋も従業員の部屋。ケネスが従業員じゃないって知ったリッカは、とても驚いていたわ。
 ケネスの部屋には私物らしい私物はない。いつも出掛ける時に持ち出す荷物が、彼の全財産だ。エラフィタに行くとチェックアウトして、そのまま『さようなら』。やりかねないわね。
「このこと、従業員に言うからね」
 好きにしろ、ケネスは携帯灰皿に紙巻きを押し込んで立ち上がる。
「引き継ぐ事はねぇと思うが、聞きたい事があったら明日までに聞いてくれ」
 そう言い残すと、ケネスは『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたプレートの掛かった扉の向こうに消えていった。


最近9小説を紙媒体にすべく頑張ってるので、9と10の間の小話を仕立ててみました。

拍手に感謝!ぱちぱちっとありがとうございます!



ついでに一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
あと1000文字。