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並盛をくるむ大空に、ふわりと舞い降りるひつじ雲のように。隣に突如出現した人間の気配を感じ取った綱吉は、はち切れんばかりに水が入ってまんまるく膨れた風船を、勢いよく顔に投げ付けられたかのような表情で固まった。だって、今は5時間目、数学の授業中なのだ。
叫びだしそうになる少年の口を、謎をいっぱいに抱えて登場したその人、雲雀恭弥は、春夏秋冬関係なく白魚のような、一見戦いとは無縁の美しい手の平でぐっと押さえる。訳が分からず目を白黒させた綱吉は、しかし周りの友人達が全くこちらに関心を寄せていないことに気が付いた。並盛中の風紀委員長といえば、彼らにとって、地震雷火事に次ぐ恐怖の代名詞のようなものなのに。口をぱくぱくさせて、離れゆくヒバリの手の平に代わり、自分の右手で口元を覆った綱吉は、目線を泳がせる。少々考えてから、両手を軽く握り締めて、ヒバリに向き直った後、ゆめ?と音にせずに言って首を傾げる。
「夢じゃないよ」
綱吉の頬を両手で包み込んで、現実だとヒバリが笑えば、瞬間的に顔に熱を燈した綱吉は、自分が授業を受けている最中であることを完全に忘れた。慌てふためいた拍子に腕が当たり、消しゴムを机から落としてしまったことにも気付かずに、フリーズする。頭の中が真っ白になってしまった綱吉の横にしゃがんで座り込み、黒く汚れた消しゴムをひょいと拾い上げてやったヒバリは、彼の机に顎を乗せ、いま現在自分が持ち物ごと透明人間になっていること、ボンゴレボスにだけは姿が見えるようになっていること、また、この状況の背後には赤ん坊が居るということを告げた。
身体が透明になるなど考えられないが、リボーンが絡んでいるならば間違いなさそうだ。どきどきと高鳴る胸を押さえつけて、綱吉は深呼吸した。ボンゴレに関わってから、謎の理解力が身に付いた気がするけれど、対応力はまだ追いついていないみたい。厄介な体質だ。


「ねえ君、当てられてる。問3だって」
ちょんちょんとヒバリに制服の袖を引っ張られて、現実逃避するようにぼんやりしていた綱吉は、退屈な授業にうとうとしているのを見透かされたのと同じような感覚で、ぎゅぎゅんと気持ちを飛び上がらせた。顔を前方にやれば、数学教師が怪訝な顔をしてこちらを見ている。無理もない、ヒバリが見えない彼らにとって、綱吉の百面相は全て一人芝居にしか映らないのだから。
「早く前に来て、黒板に答えを書いてみろ」
「は、ハイ!」
焦って、椅子と床をギイと擦らせながら、窓際の席を立った綱吉は、またもや目をまんまるくした。教科書を持たない方の手が、ヒバリの指にするりと掬い取られて、きゅっと繋がれたためである。
「どうせ分かんないんでしょ、一緒に考えてあげる」
「ええええええ」
「平気だよ、僕の姿は君にしか見えてないんだから」
「そんな」
「どうしたんだ沢田、お前さっきから様子が変だぞ」
「あ、す、すいませ…」
前を歩くヒバリに手を引かれ、正直なところ、綱吉は問3どころではない。その上、擦れ違いざまに獄寺が、「ファイトっす十代目!」ときらきらした眼差しで言うものだから具合が悪く、綱吉は、苛立ちを隠さずに足を止めたヒバリの手をぎゅうっと掴み、自らの意思でヒバリと共に教壇に立たなければならなかった。ヒバリは今にも教科書を持つ綱吉の手を掴み、獄寺にその冊子を直撃させかねん勢いだったので。
「グラフの問題だね」
ヒバリが教科書を覗き込み、綱吉はとりあえず形だけチョークを握った。しかし、答えの導き方は全く分かっていない。元々数学は不得意な綱吉だったが、今回当たってしまったのは、苦手中の苦手分野である一次関数の問題。初っ端の授業で躓き、さっぱり理解が出来ていない状態のまま今に至ってしまっている。
解き方分かる、とヒバリに尋ねられて、綱吉は小さく首を横に振った。ごめんなさい絶望的です。
「まずはyについて解くんだよ」
「………………」
「この式を、y=の形に直すってこと」
綱吉は頷いてヒバリのアドバイスを受け入れ、黒板にチョークをゆっくりゆっくり歩かせた。指に力が入りすぎて、綱吉が文字を這わせる度に、チョークの粉が噴き出している。
「そう、y=-2x+0だね。切片が0だから、次は0のところに点を打つ」
言われるがまま、綱吉は原点の部分に、たどたどしい手付きでチョークをついと乗せた。
「傾きは」
「ま、まいなす、2?」
「合ってる。じゃあ、さっき点を置いたところから、傾き分も求めて」
「え、と…」
「0からxに1増えて、yに2減るところはどこ」
ヒバリに示された部分を指で辿り、綱吉はもたつきながらも直線上の2点を求めることが出来た。点同士を繋いで更に伸ばした線は、歪に曲がっており頼りないが、どうにかこうにか拙いながらも、初めてグラフを完成させることが叶ったのである。ほっと少年の肩の力が抜けたところで、獄寺が綱吉に対して賞賛の声を浴びせ、達成感に脱力した綱吉の手から奪い取られた数学の教科書は、今度こそ宙を舞って哀れなクラスメイトの顔面に直撃した。


席に戻った綱吉は、隣に立つヒバリの人差し指をそっとつまんで彼の気を引いた。視線がかちりとはまったのを確認すれば、はにかんだ少年は、ありがとうございました、と唇の動きだけで伝える。カチカチと芯の2回分押し出されたシャープペンシルが、ノートの端を軽やかに走って、「今度お礼させて下さい」、という文字を跡に残した。二人の空間を埋める、爽やかな夏色の空気が照れくさくて、ヒバリはついとそっぽを向いたが、すぐに気が変わって、胸の前で組んでいた腕を解きながら、凭れていた窓から背を離す。強風に押された淡い黄色のカーテンが、名残惜しげにヒバリを追って、綱吉ごと取り囲んだ。
「いま、ちょうだい」
ヒバリは、清潔なシャツにくるまれた綱吉の両肩に手を置いて、零れる吐息が交わせるほどに距離を詰めた。息を呑む暇すら与えられなかった少年は、しかし、眼前に迫る黒々と濡れた瞳の中、確かに自分が生かされているのを知る。
互いの表情がまるで見えなくなる一瞬、淡々と授業を進める教師の声も、それを遮る授業終了のチャイムも、校庭の外を無遠慮に駆け巡る自動車の雑音も、全てがカーテンのクリーム色に吸い込まれて、綱吉の耳にはもう何も聞こえなくなった。






20100721(学校で7題:授業に集中できません。)
お題サイトさま:Fortune Fate




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