さわる

さわる


 この何日間かは、もうあまりにも時間の密度が濃すぎて参ってしまう。
 きっと、ずっと後になっても妙に鮮明に思い出すことになるのだろうなと、よくわからないけど僕の中の冷静な僕がそう言っている。
 そうなのかもしれない。
「佳主馬くん、おしょうゆとって」
 僕はちらりとすぐ隣で卵焼きに大根おろしをちょっとだけのせている人を見た。

 だって、僕はこの人に出会ってしまった。

 どきどきしている。
 三日前に会った時は、いい意味でも悪い意味でもなんとも思っていなかった人なのに。
 ずるいことに、この人は実はすごくかっこいい人だった。
 強くて曲がらない。究極の先っぽにいたって、それを貫ける人をどうしたってかっこいいとしか思えない。
 僕がすくんで何もできないその時にばかり、立て続けにかっこいいところばかり見せられた。

 僕はもう、そういう健二さんを知ってしまった。

「……佳主馬くん?」
「あ、ごめん……」
 ついじっと見てしまっていたことに気がついて、あわてて目の前のしょうゆさしを手渡す。少し、指が触れあった。
 じん、としびれて息が一瞬、止まる。
「……? ありがと?」
 また、妙な反応をしてしまったという自覚はある。僕は、健二さんと指が触れあっただけでどうにかなりそうに混乱していた。
 健二さんと僕の手の大きさは大体同じくらいだ。
 身長差は結構あるのだけれど、手のひらはあまり変わらない。これは健二さん説によれば「佳主馬くんは多分身長が将来的に伸びるってことじゃないのかな」ということらしい。うれしい。
 指は、多分普通の長さ。でも、僕よりずっとすべすべしてる気がする。ちょっと触れただけだからよくわからないけれども、すごく気持ちいい。
 師匠みたいに硬化してもいなければ、父さんみたいに微妙にざらついていたりもしない。僕の指は結構硬くて、それは多分拳法の修行の成果だと思うから「すごく誇りに思っていい」と師匠に言われてる。
 僕もそう思う。
 だから、うらやましいとかっていうわけじゃない。
 ただもっと、ちゃんと触ってみたいと思う。多分すごく気持ちいいんじゃないかな。
 そうする機会なんて、思いつけないけど。
「佳主馬くん、卵焼き食べる? とってあげるよ」
 僕の様子はそんなにおかしかったのかな? 健二さんが気を使って、目の前の空になっていた小皿を手にとってくれた。
「うん……ありがと」
 それで向こうは僕が実は「すごく卵焼きが食べたかったけど、ちょっと遠いから面倒だな」と手を出してなかったのだと理解してくれたみたいだ。
 ちょっとほっとした。
 こういう動揺の正体は、少し冷静になって考えてみないとちゃんと把握できない。ような、気がする。
「二切れでいい?」
「三つほしい」
 短い会話に、健二さんがこっちを向いてにっこり笑う。
「……」
 どうしよう。すごく、うれしいと思ってる。
「はい。どうぞ」
 大根おろしもちょうどいい量のせてくれる。健二さんは優しい。
 上田の田舎で食べるご飯はもうとにかく自己主張が命で、ほしいおかずは自分で取りに行くか、大皿のそばの人に積極的に頼まなくちゃいけない。そういう風になっている。僕はもう一人前扱いされてるからそんなことは当たり前で、卵焼きだってほしければ自分で取る。
 健二さんもそのシステムや僕の位置は理解してくれてる。だから今のは、僕を子ども扱いしてそう言ってくれてるわけじゃない。
「たくさん食べなよ? 今日はお客さんがいっぱいくるって言うし。おばあちゃんに歌も歌わなくちゃいけないし。大きな声はお腹空いてたら出ないから」
 健二さんは、すごく優しい。うちの人たちだってそれぞれ優しいところがあるのは知ってるけど、健二さんの優しさはなんだかちょっとない感じの手触りがする。
 言い方が優しいのかもしれない。
 声が柔らかくて聞いてるとすごく気持ちいいな、って思う。
 僕はだから、じっと健二さんを見ながら卵焼きが三切れのっためいめい皿を受け取る。
「……っ」
 また、指が触れた。
 心臓が跳ね上がる。
 健二さんはにっこり笑ってくれている。

 それが、とてもうれしいと僕は思った。

 この人に、もっと触りたいと、そう思った。




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