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流血描写を匂わせる表現がありますので、苦手な方は読まないで下さい。







*****【MDR 四話目おまけ話】*****


 どこか落ち着きのない、そんな夜だった。
 どこの街にでもあるような、夜の顔を見せる通り。喧騒が闇に包まれた町をざわめき立てる。
 そんな通りに外れにある小さな建物。黒い扉がネオンの光を反射してきらめいていた。
 その扉を一枚隔てれば、向こう側の喧騒は遠ざかる。繁華街のざわめきを遮る重い扉。
 その先に続く薄暗い階段。
 まるでそれは、地獄へと続く穴のようで。壁に取り付けられた燭台の揺らめく炎が、ぼんやりと先を照らしていた。
 階段を下り、明かりに引き寄せられるように曲がれば、地下の籠もる湿った匂いと、葉巻の香り。
 鼻に纏わりつくアルコール臭を掻き消すように焚かれた香が芳しい煙を放っていた。
 そこにあったのは小さなバーだった。
 カウンターにはこの店の店主らしき男が立ち、幾つかの椅子と机が並んでいる。宵の口ともあって、店の中はそこそこ込み合っていた。
 手狭ながら品の良い店内。
 飲み物を口にする客たちの仕草もどこか上品に見える。
 会員制の隠れバーと言えば、聞こえがいいが。要は、多少、富と権力を持つ者がちょっとした大人の遊びと出会いを探すような場所。
 そんな薄暗闇に包まれたバーの一番奥まったところにある一席。
 客のプライバシーを確保するためか、大して役に立つとは思えない衝立の内側に並んだテーブルと椅子。
 そこに腰掛ける一組の男女。
 からん、と。
 随分と前に頼んだグラスの中。氷が音を立てて転がる。
「なるほど」
 どこか楽しげな声が漏れた。
 言葉を発したのは女の方だった。
「なかなか、興味深い」
 赤く熟れた唇が誘うように開かれる。そこから零れ出た音は鈴の音のように優しげで。
「ほぉ、ここはこうなっているのか」
 熱を込めた視線が真っ直ぐにそれを捉える。その眼差しに目の前に座る男が喉を鳴らした。
 黒絹を思わせる髪。陶磁器のように白い肌。人形じみた美しい容姿。鳶色の瞳が興奮のためか潤んでいる。
 そこにいるだけでも圧倒的な存在感を放つ存在。誰もが目を奪われる美貌を持った女がそこにいた。
 それを直視することを許された男は、極度の緊張のためか、額に汗をかいている。
 女の美しい顔を見ることなど許されないとばかりに、視線はあさっての方向を向いていた。
 女はそんな男に笑みを浮かべる。艶やかな笑みは人形じみた容貌をより、美しく彩る。
 動かした腕。白衣の裾がテーブルに擦れる。
 からん、と再度、グラスの中の氷が動いた。
「あのねぇ、ウイユちゃん」
 恐る恐ると言った様子で、女の方を振り返った男が口を開いた。
 金の髪に縹色の目をした男は、シャツの上にジャケットを羽織っただけの身軽な恰好をしていた。
 ウイユと呼ばれた女は、「なんだ?」と顔も上げずに問う。
 少し間があった。男は言うか言わないか迷った末、結局、言うことに決めたらしい。
「いい加減やめない?」
「今、良いところだ。ここで止めては勿体無いだろう?」
 男は無言で息を吐いた。
 何が勿体無いのか、聞き返す気力も削がれていた。
 女は喜々としながら、手にしていた鋭い刃物をきらめかせた。
 店内の薄明かりに、きらりと光を反射させるそれ。
 銀色のメスを細く白い指先が掴んでいた。その刃先が滑るのは――。
「見ろ、この整然とした横紋筋を。筋肉とは多量の収縮性蛋白ミオシンとアクチンを含むものだが、それが棒状の構造をしていることでこの綺麗な筋肉繊維を作り出している」
 見ろ、といわれて直視できるはずもなく、男は視線を逸らした。
 銀色のメスが切り刻むもの。それは、男の手の平だった。
 きらめく切っ先が男の肌を裂き、その下の肉を抉る。乳白色の骨が淡い光の下にさらされて、その全貌を明かしていた。
 自分の手の中身を直視するのが嫌らしい男は、先ほどから必死で目を背けている。が、女の方は少しも気にする様子はない。
 楽しそうにその手を切り刻んでいく。
「手先は神経が集中しているところであり、細かな作業を行うために特化した部位でもある。見ろ、これが神経だ」
 そう呟きながら、神経を突っつかれて、男は肩を揺らした。
 暴かれた手の骨肉。そこから漏れる血はなく。男も痛がっている素振りは見せない。それどころか、メスが切り裂いた先から、傷口が塞がっていく。
「ウイユちゃん、楽しそうだね」
「楽しいに決まっているだろう」
 きらりと鳶色の瞳が光った。
「こんなにもはっきりと、生きている肉や骨を拝める機会などないからな」
 普通は血塗れで見られたものではない。女はメスで新たな箇所を切り裂きながら、告げる。
 男は、「好きにしてくれ」と天井を仰いだ。
 デートだ。そう、デートだ。
 いつも女の傍らにいる盲目の男はいない。正真正銘、二人きり。
 これをデートといわず何と言うのか。
 喜び勇んでいられたのも最初だけ。
 女が心より愛する至高に手を掛けかけた件についての話になり、その償いとして、なぜか手を好きにさせるという話になって。
 気付けば、こんなことになっていた。
 さすがに、自分の一部が刻まれているところなど見たくはない。
 目を逸らしてやり過ごすのだが、肉の内側で動くメスに自然と視線が向いてしまう。
「あー、ちょっと痛いんだけど……」
「痛みを感じるのか?」
「気分的に」
「なら、大丈夫だな」
 精神的苦痛という言葉を女は知っているのだろうか。
 もっとも、知っていたとしても気に留めるとは思えないが。
 笑みを浮かべながら、楽しげにメスを浮かべる女。
 男は苦笑した。
 女がこんなにも楽しげにしているのだから、まぁいいか。
 もう暫く、好きにさせてやろうと、男は思った。




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