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+++++++++++平安編 第二章後 おまけ話+++++++++++


 その後、痛む足を堪えて、平都に戻った晴明に待っていたのは、報告義務という、面倒で厄介な代物だった。
 山奥まで出向くことになったのは、師直々の指示であるから、誰かが代わりに報告をするというわけにはいかない。刹影に姿変えをさせて行かせる方法もあったが、生まれたときからの付き合いと言っても過言ではない師の目を――兄弟子さえ見抜くのだから――誤魔化せるとは到底思えなかった。
 しかし、足が折れているのは事実。下手に動くとまた悪化することになる。そこで、畏れ多くも、師が自ら安倍低を訪ねてくる次第となった。
「師匠だけと聞いていたのですが、兄上までいらっしゃるとは、余程、陰陽寮は暇なんでしょうね」
 天清に案内されてやってきた客人に対しての開口一番がそれだった。
 安倍邸にやってきたのは師である賀茂忠行だけではなく、その息子であり、晴明の兄弟子である保憲も一緒だった。陰陽寮を纏める立場である二人が共に訪ねてきたのだから、晴明が「暇」と称しても仕方ないと言えた。
 怪我の床を見舞われたというのに、晴明は普段と同じように髪を結い、狩衣を纏い、背筋を伸ばして床についていた。顔色も良く、事前に怪我の具合を聞いていなければ、いつもと同じとしか思えなかっただろう。
「思ったより元気そうで、なによりだ」
 忠行は晴明の軽口を聞き流して、天清に示されるまま床の横に腰を下ろした。
「足の具合はどうなんだ」
「見ての通り、といったところです。骨が繋がるまでは絶対安静。骨が繋がったあとは、落ちた体力を戻す必要があり。賀茂の威信というのはなかなかの値が張るようで」
 皮肉の満ちた言葉に、師は苦笑を漏らした。賀茂家に汚名が掛かるという理由で嫌がる晴明を行かせたのだ。この程度の嫌味など予想済みだ。
 そんな晴明を諌めるように、同じく床の横に腰を下ろした保憲は、
「そうは言うが、遠出する羽目になったのは、お前の普段の行いゆえだろう」
 兄弟子の口出しに、晴明は眉を潜める。普段の行いが、天文生として相応しくないのは重々承知している。ここで、下手に言い返しても、己に不利になると判断した晴明は口を閉ざした。
「それで、晴明。報告の件なのだが……」
 無駄話はこれまでと、早速仕事の話に入るが、
「被害者は、村人二名、陰陽法師、天狗」
 師の言葉を遮り、晴明は言う。
「どこの誰だか分からない陰陽法師が戯れに村人に呪術を教え、それによって創られた御守が暴走。村人が想いを寄せていた女の旦那を八つ裂く。死体が穢れ、物の怪に喰われなかったため、事件が表沙汰になる。同時期に、呪術を教えた陰陽法師が御守を止めようと失敗し、殺害されたと推測される。陰陽寮から賀茂忠行の命にて、この安倍晴明が派遣。目的地に着いた前後で、天狗は殺されたと判断できる。その後、想いが通じないことへの怒りから慕っていた女を鎌で滅多打ち。穢れた呪術は持ち主である男を支配。結果、強制的に調伏」
 まるであらかじめ台詞を決めておいたかのように、息継ぎもせず、相槌を打つ暇さえ与えず、一気に晴明は報告を終えさせた。
 それから、ふわりと微笑むと、
「何かご質問は?」
 勝ち誇ったように告げる弟子に、師は暫く唖然としていた。
 やがて、我に返ると間を誤魔化すように咳払いを一つ漏らす。
「女の方とは、生前に接触があったと先の話で受けたが」
「女性の方……キエは正吉の女房であったことを考えると話を窺うのは妥当だと思いますが?」
「そうではない。……事前に後のことを察知し、殺されるのを食い止められたのではということだ」
 殺される直前のキエに晴明は会っている。もし、キエが狙われる可能性を考えていれば、助けることはできたのではないか。そう考えることは不思議ではない。
「……この安倍晴明に不手際があったと?」
「そうは言わんが……お前は四神を連れていた。彼らはなにか掴んでいなかったのか?」
 四神ならば事前に予期することができていたのでは。師の問いかけに晴明は口を開きかけたが、
「父上。それは無茶というものですよ」
 やんわり、と横から保憲が口を挟む。
「普通の式神に比べれば、彼らは確かに遥かに上をいく存在なのは間違いないでしょう。ですが、未来まで予知することはできないと思いますよ。もしできていれば、主人である晴明が怪我を負うようなことを見過ごすはずがないでしょうから」
「……確かに」
「それに、今回の件に対して、晴明に不手際があったとは私には思えません。把握できる範囲内で新たな被害者が出てしまったのは残念ですが、制御の手を失った呪ほど恐ろしいものはないといえます。被害者が二人で済んだのは、寧ろ晴明の行動が早かったからともいえます。御守に辿りつくのがあと少し遅れていたら、村人全員が八つ裂きにされていた可能性だってあるのですから」
 息子の言葉に、父親は黙って頷く。保憲は晴明を庇うつもりで言っているわけではない。弟弟子を甘やかすことは多々ある兄弟子ではあるが、陰陽寮の威厳を損なうことに関しては容赦を見せない。
 その保憲がわざわざ師に意見するということは、本心からそう考えているのだろう。
「お前がそういうのならば、そうなのだな」
 忠行は囁くように呟いた。
 師であり父である忠行の陰陽師としての実力を、その弟子であり息子である保憲はすでに追い越している。立場的には師と弟子でありながら、時にそれは逆転する。だとしても、忠行はそれを厭うことはない。それどころか、己の息子を誇りに思っている節さえある。
 晴明はそっと眼差しを下に降ろした。胸にわだかまる思いに耐えるように、拳を握る。
「晴明」
「……はい」
 返事が一拍遅れたのを誤魔化すように、晴明は軽く首を振る。忠行は己の弟子を優しい眼差しで見つめた。
「兎に角、ご苦労であった」
 師からの労いに、晴明は首を竦めると、
「遠出はもう御免被ります」
「ならば、今後、陰陽師として相応しき行いをするのだな」
「お間違えなく。私は天文生であり、陰陽師では――」
「これを……」
 忠行は懐から書を取り出す。晴明は訝み、眉を潜めた。嫌な予感。そして、それはけして外れない。
 忠行は陰陽寮を率いる賀茂家の当主として、威厳を持って告げた。
「安倍晴明は当代の陰陽寮の陰陽師の相応たる者として、ここにその任を与える」
「…………」
 晴明は言葉を失った。差し出された書には、「安倍晴明」が天文生を脱し、正式に陰陽師として任命されたことが示されていた。
「このたびの働きは、重々認められるものに相応しきものだからな」
 付け加えた師のその呟きに、晴明は全てを理解した。
「最初からですか?」
 鋭い晴明の視線に、師は口元を扇で隠す。
「何が、かな?」
「最初から、そのつもりでこの安倍晴明を行かせたのですか?」
 すでに陰陽師として十分な素質を有していながら、未だに天文生に甘んじているのは、晴明にそれに足りる実績がないからだ。
 表沙汰にならぬ仕事は幾つかこなしてはいるものの、堂々といえるような大事には手を貸していない。人の目に触れるような功績がなければ、陰陽師として認められにくい。
 だからだ。だから、今回、師は晴明にわざわざ山奥まで行かせたのだ。安倍晴明はすでに陰陽師に相応しき能力があると周囲に見せ付けるために。
「出世を嫌がるものなど、お前以外にいないだろうな」
「嫌がっているわけではありません。それに付随する諸々が煩わしいだけです」
「お前の人嫌いもそこまでくると立派だが、いつまでも、わがままを言っていられる歳ではあるまい」
 穏やかながら、厳しい目が晴明に向けられる。
「お前もじきに十九だ。添い遂げる者を見つけ、子をなすには十分な年だろう」
「お言葉ですが、私にはそのつもりは一切ありません」
「……晴明」
「私は……多くは望みません。今のままで、十分だと思っています」
 師は何かを言いかけたが、結局何も言わず、口を閉ざした。晴明もまた視線を握る拳へと落とす。
 普通ならば、そうするべきなのだろう。元服をし、一人前の大人になったのならば、文をしたため、慕う思いを綴る。愛する女房のもとへと通い、いずれは跡継ぎの子をもうけ、より豊かに生きるために出世を望む。
 四つしか違わない兄弟子もすでに北の方がいる。実の息子のように晴明を思うからこそ、忠行も心配してくれている。それは分かる。
 けれど、晴明は知っている。この身に流れるソレが、普通でないことを知っている。
 人の姿を取りながら、内側に流れるソレが人でないことを示そうとすることを知っている。
 これ以上、何を望めば良いのか。暴走しかけた獣の血は、四神を迎えることで押さえ込まれた。生活は特別豊かではないが、満足するものであり、優秀な式神たちが身の回りのことを全てやってくれる。
 これ以上、何も望んではいけない。大切なものなど必要ない。守りたいものなどあってはならない。それは、全て悲しみを喚ぶものだから。
「お前が天文生から陰陽師となるのはすでに決定済みだ。それだけは、了承しておけ。……私は仕事が残っているので、これで失礼するが」
 ちらり、と忠行の視線が息子へと向かう。心得たもので、保憲は黙って頷くと、
「私はもう少し残りますよ」
「そうか」
 忠行は立ち上がる。
「刹影」
「……」
 晴明が喚べば、一拍も待たぬうちに、刹影が音も立てずに姿を現す。
「師を送れ」
「いや、外に牛車を待たせてある」
「ならば、表まで送れ」
「御意」
 晴明の命に、刹影は頭を垂れて従う。
 師匠は苦虫を噛み潰したような、複雑な表情を浮かべた。が、それ以上何も言わず、刹影に付き添われたまま、寝所を後にした。
 保憲は息を一つ、つくと、
「晴明。人が悪いぞ」
「見送りをつけただけですが?」
「父上が彼らを苦手としているのをわかっているだろう?」
 保憲は弱冠、声を潜める。
 彼ら――すなわち、四神を忠行は苦手としていた。神に数えられながら、今は晴明の式神として従う四神。人など及ばない、強大な力を恐れるなという方が無理だろう。ましてや、特殊な才を生まれ持ったわけではなく、努力によって今の力と地位を築いた忠行のような者にとっては、四神は恐ろしき物の怪となんら変わりない。
 もちろん、晴明とてそんな師の思いは理解している。それを嘲るつもりはない。主人であるからこそ、晴明は四神に対して横暴な振る舞いをすることが許されるだけだ。忠行のように、四神を前に恐縮する姿こそ、本来の人の神の付き合い方だ。
 それを分かっていて、刹影に見送るように命じたのは、晴明なりの意趣返しのつもりだった。
「それにしても、お前が怪我を負うとは予想外だったな」
 父親がいなくなって気が楽になったのか、保憲は格好を崩す。
「私とて生身です。高いところから落ちれば足くらい折りましょう」
「いや、そうではなく……父上の言葉ではないが、お前には四神がついているからな。寝込むような怪我をするようなことだけにはならないと思っていた」
 式神にとって主人は絶対だ。主人の身を守ることこそ、式神が最初に科せられる指示無き命令だ。なのに、四神たちは晴明が怪我を負うことを止められなかった。
「兄上も、師匠も、彼らを買いかぶりですよ。彼らは四方を治める神ではありますが、今はこの安倍晴明の式神です」
「だからこそ、解せない。式神ならばこそ、お前の身を守る義務が生じるのではないか? お前は彼らに守りをさせていないのか?」
 以前にも同じ様なやり取りをしたが、あっさりとはぐらかされた。兄弟子の問いかけに、晴明は目を閉じる。
 その答えを誰よりも知りたいのは、恐らく当の式神たちだろう。
 いつ呼び出されてもいいように、寝所の御簾の前に控えていた天清は息を飲んで様子を窺っていた。凰扇も縁に腰掛け、聞き耳を立てる。姿は見えないが汐毘もどこかにいるはずだ。
 晴明は己の身を守ることを許さない。
 その理由を口にしたことは一度もない。
「そうですね」
 再び、瞼を開いた晴明は扇で艶やかに口元を隠すと、
「この安倍晴明の身を守って差し上げたいのだと、頭を垂らして百万回懇願するのなら、守らせてあげなくもないかもしれませんね」
 穏やかに、本気か冗談か分からない口調で言う。保憲は肩を落とした。
「お前は……本当に」
「おや? なにか問題でも?」
「いや、まぁ……なんでもない」
「言いかけて止めるとは、兄上らしくないですね」
 脱力した保憲以上に、力が抜けたのは外で盗み聞きをしていた天清と凰扇だった。
「そういえば、高いところから落ちて足を折ったと言ったが」
 不意に思い出したように保憲は口を切った。
「お前は木に登れないから、崖から落ちたということか」
「兄上、登れないわけではありませんよ」
「あぁ、登れたは良いが、降りられなかったか」
「……兄上」
 扇子越しに晴明は兄弟子を睨む。
「一体いつの話をしているんですか」
「いつ、と……確か私が十二のときだから、お前は八だな」
「そんな昔のことをいつまでも……」
「でも、今も高いところが苦手だろう?」
「…………」
「こういうのを何ていったか……あぁ、そうだ、高所恐怖症だったか」
 保憲が呟いたのと、御簾が大きく揺れたのはほぼ同時だった。それを見逃す晴明ではない。
「盗み聞きとは質が悪い。出て来い」
 命じられて、慌てて天清と凰扇が姿を現す。
「いや、あの、別に忍んで聞いていたわけではなくってですね。耳に入ってしまっただけでして」
「まじか? 晴明、高いとこ怖いのか?」
 主人の機嫌を損ねてはいけないと言い訳を募る天清と、それを無駄にする凰扇の声が重なる。
 晴明は扇で口元を隠しているが、眉は顰められている。
「あぁ? でも、猫の背中に乗って飛んだよな」
 御守りによって暴走した男を仕留める際、晴明は汐毘の背に乗って追った。あれほど高いところでも平気で印を組めたのだから、高いところが苦手というのはおかしな話である。
「なるほど、男を追うのに夢中で高さを忘れていたと」
「兄上っ!」
 晴明の噛みつかんばかりの叫びを、兄弟子は笑って流す。完全にペースを崩された晴明はこれ以上、情けない話はされたくないとばかりに口を閉ざした。
「でもまぁ、あまり無茶はするなよ。こっちがひやひやする」
「ならば、私の陰陽師昇進を取り消すように掛け持ってください」
「それは、話が別だな」
 子供のように拗ねた様子を見せる弟弟子に、保憲の口元が自然に綻ぶ。
「なにはともあれ、出世に代わりはない。ここはめでたく内祝いをすべきだろう」
 その言葉に頷いたのは、天清だった。
「保憲様もご一緒いたしますか?」
「あぁ」
「では、そのように計らいましょう」

 その後、晴明の機嫌はすっかり損ねられ、師匠の再三の呼び出しにも応じず、兄弟子に引きずられるように陰陽寮に向かうという、いつもの光景が繰り返されることは、また別の話である。




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