『こんなとこにおったんか』

 人混みの中にいたロミオの肩を後ろから掴んだのはベンヴァリオであった。




Giulietta in estete  36.




『潮時や。引き上げるで』
『せやな…先帰っといてくれるか』
『え?』
『ええから。ちゃんと朝までには家に帰るよって…』
『けど…』
『考え事したいんや。頼む』

 ロミオが受け入れそうにないことに気付いたベンヴァリオは説得を諦めた。
 気晴らしに良いからと無理やり誘い出したのは自分たちだし、ロザラインは見かけていないが、また冷たい仕打ちでも受けたのかもしれない。そう思うと強くは言えないのである。

『解ったよ。けど、騒ぎは起こすなや。ティボルトがうろついてるから、気ぃ付け』
『ああ。ありがとな、ベンヴァリオ』

 ロミオはベンヴァリオに微笑みかけ、己の肩に置かれた手に触れてから歩き出した。
 悩んでいる様子はパーティに来るまでと同じだが、その瞳の輝きの違いにベンヴァリオが気づいていたかどうか。


 ロミオはそのまま屋敷の外に出た。振り向くと、堅牢な柵に覆われた大きなキャピュレット邸がある。行先も決めていなかったが、その柵に沿って歩き出した。
 そのまま歩き続けて裏にある果樹園まで回ったとき、なにを思ったか、柵に飛びつくとヒョイと乗り越えたのである。



 シーンは変わって、次に映し出されたのは窓辺に佇むジュリエット。パーティの衣裳のまま外を眺め、ひとりため息をついている。
 そこに、周囲を窺いながらロミオが走り込んでくる。光の漏れる窓辺を見つけて思わず言う。

『そっちは東…そんならジュリエットは太陽や。新しく昇った太陽の輝きには、空の月も青ざめるばかりやな』

 より近づくと、手袋を嵌めたままの手でバルコニーの柵に頬杖しているジュリエットが見えた。ロミオは笑顔になる。

『あの手袋になりたいわ…』

 窓下まで近づくと、ため息が降ってきた。


『ああ…』

『なにかしゃべった。天使よ、もう一度声を聞かせて』

『ロミオ…ああ、どうしてあなたはロミオなの? 私を想うなら、名前を捨てて。もしそうできないなら、せめて私への愛を誓って。そうすれば、私も名を捨ててあなたのものになるのに。私の敵はその名前だけ…名前ってなに? あのひとが、違う名になったって、違う人間になったりはしない。その…名前を捨てて、かわりに私のすべてをとってほしい』


 その告白に、ロミオは窓辺をよじ登る。このセットは数年前の六角中での机を積み重ねたものと違って堅牢な造りなので、もちろん揺れたりはしない。

『恋人とでも、なんとでも呼んでください。あなたがもし、ロミオという名が気に入らないのであれば』

『ロミオ…! あなたなの?』

 ジュリエットが窓から身を乗り出すと、そこにはバルコニーの柵にしがみつくロミオが見えた。

『果樹園の塀は高いのにどうやって?…それに、見つかったらただじゃ済まされないわ…』

『彼らの刃20本よりも、あなたの瞳の方が怖い。もし、あなたが私を見つめてくれるのなら彼らの敵意などどうでもいい。それに、あなたに愛されないのなら、彼らの憎しみに殺される方がましなのです』


 ふたりは見つめ合った。それは絵のように美しく、会場ではため息が満ちた。

『愛するロミオさま』

 ジュリエットは手を伸ばし、ロミオの腕に触れる。

『夜の偶然が軽率にも私の心を明かしてしまったけれど、嘘偽りはありません。私を愛して下さる?』

『月に誓って、あなたを愛しています』

『月は満ちたり欠けたり、ころころと姿を変えるからダメ。誓うのなら、あなた自身に誓って。あなたの神様はあなたなのだから』

『愛するあなたがそう望むのなら』

『…ごめんなさい…やはり今夜はやめておいて。あなたに逢えて、あなたに愛を告げられて、今夜はとても嬉しいけど、あまりに突然すぎることだわ』

『僕は誓いたいけれど?』

『お嬢様!』

『…ばあやだわ。少しだけ待っていて』

『お嬢様!』

『今行くわ』


 ジュリエットがドレスの裾を翻して部屋の中へ消える。それを目で追うロミオ。
 バルコニーにしがみつくロミオが映っている絵がしばらく続いたあと、ジュリエットが戻ってきた。

『もし、あなたの気持ちが戯れではなくて、私との結婚を真剣に考えてくれているのであれば、明日日取りを決めるための使者を送るわ。教会においでになって』

『お嬢様!』

『すぐ行くわ、ばあや』

『戯れなんかやないです。僕は本気で…』

『やっと自分のおことばで話してくださったわね。あなたが本気ならば、私のすべてはあなたのもの。どこまででもついてゆく覚悟でいるわ』

『お嬢様!』


 ここで初めて関西弁が出た。ジュリエットはそこにロミオの本気を見たという演出である。
 ジュリエットは花開くように微笑み、それを見たロミオは見惚れながら笑顔になる。
 とろっとろに甘いわねっ、とあとで金色が評したくらいの甘々な出来であった。


『もう戻らないと…おやすみなさい、ロミオ』
『おやすみなさい、ジュリエット…』


 名残惜しそうに階下へ降りてゆくロミオが映し出される。


『そのときが待ち遠しいし、帰りたくはないな。明日が20年先のようだし、「おやすみなさい」を朝まで言い続けてたいよ…』




つづく




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