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「奥つ城に君はなく」スピンオフ短編
恋を知った夜


 指先で輪郭を辿ると、触れた唇がそっと微笑みの形に変わる。触れた掌でそのときの皮膚のつり方や筋肉の動きが解ると、幸せで胸がいっぱいになる。
 はじめは険を含んでいた声も今では随分優しくなって、耳元で名前を呼ばれると涙が出そうになる。
 それを知られたくなくてきゅっと唇を結ぶと、その人はいつもくちづけをくれるのだ。
 彼に会うまでくちづけなんて知らなかった。誰かの唇が柔らかく、誰かの舌がこんなに生々しいなんて、教えられるまで解らなかった。
 抱き締められると少し苦しいことも、自分がその苦しさを嫌いではないことも、その人に教えられた。
 自分も彼を抱き締めていいのだということも、唇を重ねているときの呼吸の仕方も、くちづけを欲しがってもいいのだということも、名前を呼んでいいのだということも、触れてもいいのだということも、全部彼が教えてくれた。
 けれど、解らないこともある。
 彼の瞳の色、彼の髪の毛の色、彼の肌の色。どんな洋服を着てどんな履き物を履き、その顔に触れていないときどんな表情をしているのか。
 見えない自分には解らない。解りようがない。
 知りたい。彼のことを全部知りたい。寝台の上で肌を弄られながら、上擦る呼吸の中でそう思う。
 快感に理性を溶かされ、その僅かに残った欠片みたいな理性が、暗闇の中にほんの小さな光を灯した。
 知りたいと願うことは執着と祈り。それはつまり、恋なのだ。
 古い詩にそんな内容があったのを思い出す。
 そうか、恋か。
 自分は彼に、恋というものも教えられてしまった。
 トランは恋という名の熱病に身を震わせながら、優しい想い人へ甘いくちづけをねだった。



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