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多分だけど、俺たちの目の前にいつまでも続いていると思っていた道は、 本当は足元で崩れてしまっていたんじゃないか。 俺たちはきっと出会うべきじゃなかった。 だけどもしも俺たちが出会わなかったとしたら、 世界の様相はどれだけ違っていただろう。 ◆ 「よお、エルミリカ」 「お久しぶりです、レーチス」 レーチスとエルミリカは互いに微笑みあった。 二人の間に本来あるべきの優しい雰囲気はかけらも見当たらず、 あるのはただ不自然な沈黙と、火花を散らしあう瑠璃色の瞳だけ。 「まさかアンタにこの店を紹介する日が来ようとはな」 「私も、まさかレーチスに、 こんなに素敵なお店を紹介していただく日が来ようとは思いもよりませんでした」 そしてまた、笑顔。 店員はこの小さなレストランの温度が何度か下がった気がして、 暖房の調整をしようと裏に駆けていった。 レーチスとエルミリカは旧知の仲だ。 だが、互いについ最近まで相手は死んだのだと思っていた。 歴史から抹消された存在、ふたり。 二人の生存を示す資料はどこにもありはしなかった。 「……あなたがそうやって、のうのうと生きているなんて意外でした」 運ばれてきた紅茶を口にして、エルミリカは僅かに微笑みを崩した。 よほど彼女に詳しい者でもなければ分からないほどささやかに眉をひそめる。 「やはり、紅茶はどうも好きませんね」 「そういえば、アンタの好みはエソル茶だったな」 レーチスもまた優雅にカップを口に運ぶ。 ただの孤児だった割に、彼の挙動は妙に洗練されていた。 「どうだよ、神護隊。 まさか男嫌いのアンタが、あんなところにいるとは思いもよらなかったぜ」 「なかなか楽しいですよ。相手が男だと思わなければ。 大概のことはレインに言えば融通が利きますし、 エルディ君は過保護、クルドさんはあれでいて甘いところがあって、 トレイズさんは愚かですが見所がありますしね。 レーチス、あなたは私の処世術の高さをご存知でしょう?」 「まあね。だけどそれにしちゃ、エルミリカ。 アンタは随分ご執心のようだ、アンタの兄と、その親友に」 「……」 エルミリカはごまかすように紅茶を口に含んだ。 少しきつめの香りに、クセのある苦味と甘味。 まるで彼女を反映しているようだ…エルミリカはとある少女を思い出す。 エルミリカとレーチスの間に深い爪あとを残した、たった一人の無力な少女。 レーチスはなおも言い募る。 「特に兄貴のほうは、驚いたよ。 まあアンタと瓜二つってのもそうだけど、何より、 エルミリカがあんな風に男に向かって微笑みかけるところなんか、な」 「……エルディ君は、似ているんですよ」 彼女はふと微笑んだ。 「時々、嫌になるくらい"彼女"にそっくりだ。 まるで、あの子が乗り移っているかのように、ね」 「……」 今度沈黙したのはレーチスのほうだった。 神妙な口調で紅茶を飲み、先を促す。 エルミリカはカップを受け皿に戻すと、その細い指を組んで、 決して綺麗とは言いがたい白い町並みを窓から眺めた。 「だから、つい甘やかしてしまうんですよ。 彼には永遠に真っ白なまま、ノルッセルの暗い過去など知らないでいてほしいし、 不老不死になんてならなくていい。 いつまでもあのまま、見守っていけたらいいですね」 「…その割には、同僚のほうは対照的だな?」 「レインですか?彼は、どちらかというとあなたによく似ている。 要領がよく、計算高くて、おまけに自信家です。 だからかもしれませんね、彼を巻き込んでしまいたくなる」 「…アンタの歪んだ愛情を俺にまで向けられてるとは思ってもみなかったな」 レーチスが苦い顔をする。 くすり、エルミリカは微笑んだ。 まるで慈愛の女神のように。 かの女性が、かつてひとつの王国を、それも自分の祖国を、 たった一人の少女のために滅ぼしたことなど、 まったくもって身に覚えがないとでも言いたげに。 「ええ。今となってはあなたも、好きですよ」 そこには男嫌いで差別主義の狂った皇女はもういない。 彼女の大切な召使に模した、偽者のふりをした本物のエルミリカ・ノルッセルは、 白々しい敬語を並べ立ててレーチスに渾身の嫌味を投げかけた。 「ウラニアはもういない。 だから、私はあの子の気配がする全てのものを、 愛することに決めたのです」 悲しすぎる音の群れ その当人はもうどこにもいやしないというのに (群青三メートル手前:淆々五題) |
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