白い靄のかかる生気の薄い草原を、私は独り淡々と歩く。
別に目的の地があるわけでもなく、また会いたい人も見当たらず、ただ草を掻き分けてこの世界の果てがどんなものなのか、少し思いを馳せた。見渡すばかりの草原。誰一人いない、孤独の世界。生と、死の狭間。
暫く歩くと川が見える。三途の川だ。
川を挟み、微かに見えるその道は死者の世界へ続くという黄泉路。そこは死者のみが逝くことが出来るのだ。無論彼岸と此岸の囚われ人である私には逝くことも、川を渡ることすらも許されてはいない。
それでも構わない。私の唯一の目的は、母の死をこの目で見ることだった。
私が囚われ人となり、気の遠くなるほどの星霜。しかし彼女は未だこの川を渡らなかった。まだ、此岸でのうのうと生きているのだ。私を捨てて。娘を捨てて! 恨めしかった。幾度も祟ってやろうと思った。呪い殺してやろうと思った。たった一人の家族を捨てて、生きている彼女を。
けれど私にそんな力は認められず、この世界に囚われて、川を渡る母を確認することしか、出来なかった。
岸に並ぶ裸の亡者たちは生気を失った顔でぼう、としている。その中に、母の姿は認められなかった。
それだけを確認し、私は再び歩き始めようとした、そのとき。一人の青年と目が合った。見覚えのある青年だ、が、名や性格、声や関係など、その青年に纏わること一切はわからなかった。思い出せないだけかもしれない。
青年は困惑気味の私を確認すると、穏やかに微笑んだ。そして隣にいた女性に私の存在を教える。女性は笑った後に深々と頭を下げられた。
女性のほうは見覚えがなかった。
「――さん」
どうやら私を呼んでいるようだ。
「――さん」
私はそちらへ向かう。不本意ながらも亡者に埋もれ、目的地へと進んだ。女性と青年もまた私に駆け寄っていた。
「――さん、良かったあ、――さんだ」
女性も青年も笑っている。亡者に埋もれた私を、両腕を引いて救い出してくれた。私は顔を見上げた。精悍な顔つきとは言いがたい、腑抜けた顔の男性が、うっすら涙を浮かべていた。
「あちらへ渡る前に、一度お会いしたかったところなのです。良かったぁ」
女性もまた目端に涙を浮べ、人差し指で優しく拭っていた。
何が何だか解らない。この両腕を引く男女が、何者であるのか、何を言っているのか。どうしてこんなにも近付いているのに、私を呼ぶその声が聞こえないのか。
混乱している私を放って、その人たちはまだ続けた。
「ごめんなさい、――さん」
「私たち、途中で事故にあってしまって……私たちだけじゃありません、ユリも彼岸へ渡るようです。ああ、でも葉は、葉だけは助かったみたい」
「きっと、こっちにくるよ」
「ですから、――さん、おねがいです、私たちの代わりに……」
女性は私の掌を包み込み、祈りをささげるように額へあてた。
「葉をよろしくお願いします」
それだけを。
それだけを一方的に告げると、彼女たちは列へ戻った。彼岸へ渡るために。黄泉へ行かなければならない彼女たちは――。
私は再び淡々と歩き始めた。
彼らが誰だったのか、そんなことはもうどうだってよかった。
私は見つけたのだ、草原に身を埋めた少年を。彼らに良く似た少年を。恐らく彼の名は葉だろう。
彼らが優しく想い続けた葉だろう。