言祝ぎ屋





 灯の言祝ぎには決して口を出さない。
 それは言祝ぎに同行すると決めた際、久幸が真っ先に決めたことだ。
 祝福を願い真剣に向き合った際、その人の未来を垣間見ることが出来るのは灯の血に宿った特別な力であり、灯の才能だ。多少奇妙な血が流れているだけで大した才能もない久幸が、言祝ぎという神聖な場で意見を述べる権利などない。その場に立ち会っているだけでも、身に余る幸運だ。
 なので常に灯の斜め後ろに黙って控えているだけだった。けれど時折、そこにいるだけの存在であるのがもどかしくなる。
 言祝ぎを求めてきた相手が、灯の言葉を一切信じず。それどころか灯を侮辱しては金と時間の無駄だと吐き捨てる時には、腰を浮かせそうになる。
 けれど灯は何を言われても怒らなかった。怒りの感情がない人間ではない。ちゃんと日常でそれを露わにして、時には久幸とも衝突している。
 だが言祝ぎをしている時だけは怒りや苛立ちは出さないようにしているようだった。その代わりに悲しげに目を伏せている。
 我が子に言葉が届かない親のように、行き場を無くした慈しみと切なさが灯の前に置き去りにされている。拾い上げて大切に抱き締めたいが、それは久幸に許されることではない。
 なので今日も、遣る瀬なさと疲労感に落ちた肩を見ては、言葉が伝わらない現実に歯がゆさを覚えていた。
「これで飯でも食って帰れ」
「いらない。今日は、言祝ぎになってなかったから」
 灯の叔父はお小遣いと書かれたポチ袋を渡そうとしたが、灯はそれを拒んだ。お金が貰えるような言祝ぎではないと、自分で判断したのだろう。
 仕事になっているかどうか。なっていないものに報酬は貰えない。それは灯の言祝ぎ屋としての矜持だろう。いくら叔父相手でも甘えるつもりはないらしい。
「報酬じゃない。ここまで来たお駄賃だ。お小遣いって書いてるだろ」
 言祝ぎの際に灯の叔父が渡してくるのは確かにポチ袋のような簡素なものではない。あくまでも言祝ぎは関係ない、プライベートとして甥に与える小遣いだと言い張る叔父に、灯は渋々受け取った。不満を隠そうともしない灯に、叔父は苦笑していた。
「今回は仕方がなかったと思うぞ。美味いもんでも食って、気分を変えろ」
 な、と肩を叩かれても灯は黙って頷くだけだった。



 言祝ぎの日は朝からなまぐさは口にしない。白いご飯に漬物、味噌汁などの簡素な献立だ。食事制限をしても言祝ぎの精度には変わりがないそうだが、気分的にそうした方が落ち着くらしい。
 その代わり言祝ぎが終わると大抵焼き肉屋に行きたがる。軽い潔斎の反動が出るのだろう。とにかく肉が食いたい!と灯は高らかに叫んでいた。
 だが今日訪れたのはラーメン屋だ。焼き肉を食べて達成感を味わうという心境とはほど遠いからだろう。
「失敗した」
 テーブル席に通されて、注文を終えると灯はそう口にした。頬杖を突いて窓の外を眺めている。国道に面している店なだけあり、車が忙しなく行き交うのが見える。眺めていて大して愉快でもない光景を見詰める瞳は、陰りが色濃い。
「灯が良かれと思って伝えている言祝ぎも、受け取る側が聞き入れようとしないんだから。拒否されたら、どうしようもないと思うけど」
 言祝ぎの場ではない。なのでようやく久幸も意見が述べられるが、薄っぺらい慰めだと自分でも思っていた。
 言祝ぎを望んだカップルは、二十歳近くも年の差が離れている男女だった。女性の方が若く、何やら理由があって婚約したようだが灯の目に彼らはあまり良い状態には見えなかったらしい。
 言葉を選んで、なるべく角が立たないように、不快にさせないように慎重に話しているのが久幸には分かったのだが。相手は話が長くなればなるほど表情を険しいものにしていった。そして最終的には怒鳴り声を響かせて、言祝ぎの場を後にした。
 反発は避けられないと、久幸も途中から予想はしていた。灯の言葉はどう選んでいたとしても、暗に結婚を止めろ、不幸になると言っているようなものだったからだ。
(結婚しようとしている二人にとっては腹が立つかも知れないけど、灯にとってはそれが真実だ)
 見えてしまったものは、伝えるしかない。誤魔化したところで、現実は見えたようになってしまう。
「叔父さんも仰っていたが、仕方ないと思う」
「仕方がないって思いたくない。俺の言祝ぎが届かないのは俺の力不足だから」
「そうは言っても、どれだけ灯が気持ちを込めて語りかけても、自分の聞きたいことしか聞かないように耳を塞いでる相手には聞こえないだろう」
 今日の依頼人は灯の口から聞きたい言葉が最初から決まっていた。諸手を挙げて結婚を祝福する以外、許さないという態度を一切崩さなかった。灯にも実際そう迫ったが、灯はそれを頑として聞き入れなかった。
 言祝ぎは自分以外の意見を聞かない。忖度をしては言祝ぎの意味がないからだ。
 けれど相手にはそれが理解出来なかった。初めから無理がある話だったのだ。
「本当に耳を塞いで聞こえなくしているわけじゃない。俺の言葉だって、頑張ったら届いたものがあったかも知れない。どんなにガチガチに自分の意見を固めて、他を認めようとしなくても、針の穴くらいの隙間はあると思う」
「難しいと思うぞ。あの人は自分の求めるもの以外、全部撥ね除けるつもりだったと思う。自分にとって気持ちの良い、納得するピース以外ははまらないように最初から形を決めてた」
 むしろ自分で考えた言葉を灯の口から引き出すことに集中していたようだった。だがそんな出来レースがしたいならば、本物の言祝ぎ屋に頼むべきではない。真実をねじ曲げさせようとしているのと同意だ。失礼極まりない。
「……でも」
 灯はどうしても自分に責任があると思いたいらしい。久幸にしてみれば灯は随分苦心して、あのカップルの未来のためにあれこれ助言をしていた。その全てが二人にとってはかんに障るものになっていたかも知れないが、罵られながらも灯は諦めずに言葉を尽くしていた。
「灯は、頑張っていたと俺は思う」
 思ったことをそのまま言うと、灯は頬杖を止めた。そして久幸へと眼差しを向けてくるけれど、憂鬱は消えていない。「だけど」と再び否定を口にするが、後ろ向きな灯を止めるかのように、ラーメンが運ばれてきた。
 野菜たっぷりの味噌ラーメンに、灯は瞬きをしては多少表情を緩める。美味しそうと言葉よりはっきりと語る瞳に、ほっとした。
 食べ始めると夢中になって箸が止まらない。麺が伸びてはいけないからと、ラーメンを食べる際には会話も少なくなる。
「……仕方がないって思いたくないんだよな」
 麺をあらかた食べ終わった灯はぽつりと零した。
「仕方がないって思ったら、そこで止まるから。せっかく言祝ぎに来たんだから、みんなに届けたい。言祝いだ人全員に、幸せになって欲しい。だけど仕方がないって思ったら聞いてくれる人にしか届かない。みんなじゃなくなる」
 聞いてくれる人にしか言葉は届かない。
 それは久幸にとってはごく当たり前のことだった。どれほど言葉を尽くしても、努力しても、理解し合えない。言葉が届かない相手はいる。
 そういうものに久幸は生まれた頃からずっと苦しんできた。絶対に、どうしても理解し合えない相手に労力を割くのは無駄だ。関わるだけろくなことがないと身に染みている。
(でも灯は違う。言祝ぎに来た人はみんな、零さず言葉を届けたいんだ。分かって欲しい、分かりたいんだ)
「せっかく言祝ぎが出来るのに、祝福出来る相手を俺が決めちゃったら……勿体ない気がする」
 麺がなくなり、もやしやコーンを摘まんでいる灯の言葉を黙って噛み締める。
 灯は自分が特別な人間だと知っている。自覚した上で、自分のためではなく誰かのために活かそうとしている。誰かのために、生きている。
(俺には出来ない)
 生きるだけで、生き残るだけで精一杯だった。灯に逢うまで、人の気持ちを配慮しているようで、自分の保身を一番に考えて生きて来た。
「……俺は、おまえのそういうところを尊敬する。憧れるよ」
 とても素直に、自然と親しくもない誰かを、まだ出逢ってもいない誰かを思いやれる強さが、久幸にとっては眩しい。
「おまえがそういうこと言うからだろ」
「うん?」
「俺のこと、そうして褒めるから。だから俺だって頑張ろうって思うんだよ。おまえが褒めてくれる俺でいたいし。隣にいて、良かったなって思って欲しい」
「今だって思ってる」
「これからもずっとだよ。ずっと、何年も。そう思ったら、仕方がないなんて思ったら、駄目だと思ってさ」
 無意識にでも保身に走ってしまう弱い自分に、それは鋭く深く突き刺さってきた。
 仕方がないという一言で自分を決め付けて、ここまでしか出来ないとセーブして、諦めて、そこから先へ進むのを止めてしまう。
 灯はそんな自分になりたくないのだろう。
(俺が隣にいるから、そう言うのか)
「……やっぱりおまえはすごいよ」
「俺にはこれしかないから」
「これしかって言うけどさ、これって言えるものがあるやつの方がずっと少ないんだよ」
 自分にはこれがある、と胸を張って言える人間がどれほどいるだろうか。少なくとも久幸には、灯に関わる物事を抜けば自分が自慢出来ることなんて何一つない。
「おまえの言葉はみんなに届くよ。今はまだ難しくても、届くようになる」
 必ずその時が来ると信じている。
 そのために久幸が出来ることならば何だってしよう。灯の支えになれるように、自分もまた頑張らなければいけない。人間として、灯の役に立つように力になれるように、成長しなければいけない。
 陰りを消して笑ってくれた灯に、自分の生き方が見えた。



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