「茂さん、お元気ですか。
あれからお体の具合はどうでしょうか。
私は大変元気です。言われなくても分かっているかもしません。
だって、私は元気なことくらいしか取り柄がありませんからね。
毎日、父と一緒に畑仕事をしたり、妹の面倒を見たりする日々です。
日々は、刻々と過ぎていきます。食べていくのには働かなくてはいけません。
しかし、夜になると貴方を思い出して胸が痛くなります。
茂さんは、どんな夜を過ごしているのでしょうか。


時たま、宮ノ杜家で過ごしていた日々を思い出します。
あの一年は、私の人生でとても素晴らしく華やかな日々でした。
それを聞いて、茂さんは笑うかもしれませんね。
だって、私が宮ノ杜家にいたと言っても、それはお仕えしていただけでしたから。
それでも、田舎育ちの私からすれば、宮ノ杜家も銀座もすべて夢物語のお話でした。
だから、煌びやかなダンスホォルや大きな食堂に最初のころは感動ばかりしていました。


最初のころは、茂さんの事を優しくて不思議な人だなあと思っていました。
けれど、あの一年を通して茂さんを知っていく内に私は知らぬ間に貴方に魅かれていました。
茂さんの、強さも弱さも優しさも、すべて私のものになったらいいのに。
そう思うことが幾度もありました。
そんな願いを持つ自分を、怨むこともありました。
もし、私が使用人でなかったら。華族の娘であったら。
もし、茂さんが宮ノ杜の方でなかったら。庶民の息子だったら。
そんなもしもを沢山考えた日もありました。
けれど、そんな事を願っても叶いはしないのです。
茂さんが宮ノ杜家の方ということも、私が使用人ということも、変え難い事実なのですから。


最近は、生活も落ち着いてきました。
だから、茂さんを愛して良かった。そう思うんです。
茂さんが、使用人宿舎に忍び込んだ事。
二人で、こっそり夜半に銀座で逢引した事。
廊下でこそこそ話をした事。
すべて私の大切な思い出です。
私は、この思い出があるからこそ、今を生きれるのです。


茂さん、私は明日、縁談をします。
私は貴方を忘れません。
忘れたくありません。
けれど、どうか、貴方は私を忘れて下さい。
日本で一番、幸せになって下さい。


もう二度と会うことはないでしょう。
けれど、どこかで貴方が迎えに来てくれる事を祈っている私をお許しください。
さようなら。


浅木はる」



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