<拍手御礼SSその3>

「空碧!」
 久しぶりに実家に帰れば、一番合いたくない人間に出会ってしまった。
 その不幸に溜息をつき、空碧はことさらゆっくり振り返る。
 墨染の袈裟を着た青年が、どすどすと廊下を歩いてくる。
 剃髪こそしていないものの、彼は立派な住職だ。
「……瑠兄(りゅうにぃ)」
 溜息交じりに名前を呼ぶのと、彼が目の前にやってくるのはほぼ同時だった。
「なんだそのだらしのない髪型は!」
「あーはいはいソーデスネー。瑠兄は長髪嫌いですもんネー」
「兄貴に対してその口の聞き方はなんだ!」
「瑠兄、それは時代錯誤も良い所デショ」
 はぁ、と溜息を吐くのは二人同時だった。
「せめて家の中だけでも、その色眼鏡を取ってくれ」
「せめてサングラスって言ってよ……」
 愛用している空色のサングラスを取れば、目に入ってくる光が強くなる。
 眉根を寄せながら、それでも空碧は正面から兄――色瑠(しきりゅう)を眺める。
 黒い短髪と、少し青味のかかった双眸。
 自分の様にはっきりとした『青』ではないため、日中でもサングラスは必要ない。
「全くお前と来たら、盆も正月も帰ってこないくせに……」
「瑠兄、漂(ひょう)兄と紺(こん)兄は?」
「漂は休日出勤で、紺は試合。会いたいなら盆か正月、それか彼岸には帰ってこい!」
「特に会いたい訳じゃないよ。ただあの出不精二人が、休日に家にいないのが気になっただけ」
 ポケットから煙草を取り出せば、六歳年上の長男はあからさまに眉根を寄せる。
 これ以上小言を食らうのが面倒だったので、空碧は黙ってそれをしまった。
「そうそう、父さんと母さんは?」
「温泉旅行」
「なんだ、ホントに都合の悪い時に帰ってきちゃったんだなぁ……」
「空碧!」
「怒鳴らないでよ瑠兄……今更俺が居たって居なくたって関係ないでしょ」
 家はアンタが継いだんだし、と言えば、年若い住職はこの上なく不機嫌な顔をした。
 実際その通りだ、と空碧は内心呟く。
 上三人は空碧よりもよっぽど優秀で、中でも長男はずば抜けていたのだから。
「……皆、心配してるんだぞ……!」
「そりゃドーモ」
「……今日は何の用だ? 口ぶりからすれば、顔見せに来た……って訳じゃなさそうだな」
「ストラト取りに来た。実家に置きっ放しだったからさぁ」
 溜息交じりに答えれば、帰ってくる言葉もやっぱり溜息交じりだった。
「まだギターなんか弾いてるのか……大学にも行かないでふらふらして、いい加減就職とか考えろ!」
「……父さんでさえも言わん台詞を何でアンタが言うのかね瑠兄」
「俺はお前のことを心配して」
「誰も心配してくれ、なんて言ってない」
 腹の底が冷えて行くのを空碧は感じた。兄弟、それも長男と話している時はそれが顕著だ。
 自分とは違う世界に生きている人間。それが空碧の色瑠に対する見解だ。
 そして――違う世界の常識を、自分に押し付けようとする人間でもある。
 ふぅと溜息を吐けば、色瑠が眉根を寄せるのが見えた。
「空碧」
「何、瑠兄」
「――明寿(あきとし)は、死んだんだぞ」
 今にも泣きだしそうなのを堪えているような、そんな表情。
 わだかまっていた黒い感情が、一気に競り上がってくるのを空碧は感じた。
「謙哉(けんや)も幸治(ゆきはる)も、もう違う道を歩き始めてる。お前だけが――」
 がん、と鈍い音が廊下中に響き渡った。
 壁を思いきり殴りつけた拳が痛んだが、それ以上に胸が痛んだ。
 それは。
 それだけは。
「……瑠兄は相変わらずだね。ホントに」
「空碧」
「確かにアキラさんは死んじゃったよ。でも――まだ、いるんだよ?」
「空碧!」
 色瑠は目を閉じ、頭を横に振る。その動作が、更に空碧の中の黒い感情を煽る。
「……死んだ人間に、何時までも囚われるな」
「薄情だね、瑠兄はさ。アンタの友達だったでしょ、アキラさん。
 それに囚われてるんじゃない、忘れないようにしているだけだ」
「くう」
「――俺はアンタじゃないんだよ、瑠兄。アンタみたく、友人の為に読経なんてしてやれないんだ」
 これ以上会話をしたくなくて、空碧はくるりと踵を返す。
 背中で兄がどんな顔をしているのか、考えると吐き気がした。
 きっと泣きそうな顔をしているのだ。
「くう、ひゃく」
「何、瑠兄」
「お前がそうじゃ、明寿は成仏できない……不幸なまま、なんだぞ」
 はぁ、と、空碧は今日一番の溜息を吐く。
「ああもうアンタは相変わらずすぎて、吐き気がするよ瑠兄。
 アンタの物差しで幸不幸を図らないでくれる? ホントにそれ頭にくるんだ」
「空碧……!」
「アキラさんと話して、ギターを弾いて。それが俺の『幸せ』なんだよ、瑠兄」
 アンタには一生分からないだろうけど。
 そう吐き捨てて、一度も振り返らずに空碧は歩を進めた。

。。。「うめられないみぞ」。。。
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