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「さわってほしい、って思うの、変か?」
少しばかり肌寒い、秋島の秋の海域である。チョッパーで暖を取りながら釣り竿を垂らしているのに、心ここに在らずであったルフィが、ぽつりと零した。いつもよりも静かだなあ、お腹がいっぱいなんじゃないですかねえ、とチョッパーと声ならぬ会話をしていたブルックも、我が船長の唐突な発言に首を傾げる。
ルフィはパーソナルスペースの狭い男だ。どんな相手でも大抵はすぐに距離を縮めるし、スキンシップを厭わない。物理的にも気持ちの面でもグッと一気に寄ってくるのに、ブルックはやられたクチだし、チョッパーも似たようなものだ。大なり小なり、この船に乗る者は皆そうだろう。そして、ルフィの手にはいやらしさというものが全くない。そもそも、麦わらの一味の中でそんな邪なことを考える者は一人を除いていないに等しく、故に性別も年齢も何も関係なく、当たり前のようにふれあいは多く行われている。
チョッパーとブルックは顔を見合わせた。今まさにチョッパーはルフィの膝の上にいて、腕やら足やらに触れていたところだ。触診も兼ねているが、こちらは何も問題は見当たらない。
だから、そういうことではないのだ、ルフィが言っているのは。そこまではいい。では、どうしたいというのだろう。
「触って欲しいというのは……」
聞けば、ルフィは「ううん」と唸った。
「なんとなく見てたり、話したりしてると、さわってほしいって思うことがあんだ」
「触れたい、ではなく?」
「さわってほしいんだ」
話している内容は全然違うことだし、見ている時なんて相手はルフィに視線さえ寄越していない。ルフィも意図して注視しているわけでなく、偶然視界に入ったのを眺めているだけであることがほとんどだ。食事をしている最中では起こらない。というのもルフィが皿の上に夢中になっているからで、しかしテーブルの上が片付いてコーヒーで一服、となると話が変わる。
触って欲しい。漠然とした言葉に、死んで骨だけ残った男と人の言葉と技術を得たトナカイは「ううむ」と唸った。
しかしそこは年の功、一人で過ごした時間は長かれど、それを抜いても彼はこの中で人生経験が一番豊富だ。かつては祖国の騎士、からの海賊人生。ルフィやチョッパーよりも多くの人を見て聞いてきた。釣り竿を船縁に固定して、「ルフィさん」魂が繋ぎ止める骨の手を、そっと差し出す。
「手をお借りしてもよろしいですか」
「うん」
「チョッパーさんも」
「おうっ」
肉弾戦がメインであるが故に、ゴムながらも細かな傷のある手のひらと、硬い蹄と柔らかな茶色の毛に覆われた前足が重ねられる。節の一つ一つがゆっくりと折れ、手と前足に絡みついた。ブンブン振ったら「ヨホホ」とブルックが笑った。
「あったかいですねえ。私は骨ですが、お二人があたたかいことも、チョッパーさんの毛並みを撫でると気持ちがいいことも、知っています」
握る骨に、僅かに力が籠る。
死んで骨だけのブルックは、この世の何もかもを今は魂で感じ取る。ブルックはサンジの料理を「美味しい」といって楽しみ、冬島では「寒〜い!」と言ってコートを着込み、炎燃え盛るところでは暑い暑いとアフロが燃えてしまわないか心配する。不思議な話だけれど、神経も何もない彼が感じているものがどこまで本当なのかもわからないけれど、確かに彼は触れるものを感じている。 「ですから」と年嵩の海賊は笑って言った。穴の空いた眼窩も一本たりとも欠けていない歯列も動かないけれど、笑っていると確かに伝わってくる。
「私はお二人に手を繋いで頂くの、好きですよ」
触って欲しいというのとは少しばかり異なるかもしれない。けれど触れること、触れられることは、喜ばしいものである。なるほど、とチョッパーは頷いた。
「おれもみんなに撫でてもらうの好きだ! きもちいいんだ」
艶やかな毛並みを一味の面々が撫でている場面は、海を行く最中によく見かけるものだ。風呂上がりのタオルドライ、ブラッシング。成長したトナカイの姿には滅多にならないものの、フカフカの首周りを撫でるのは気持ちがよくて、ルフィも見かけたら飛びついている。
手を繋ぐ、あるいは撫でたり撫でられたり。進んでやることではなくとも、そうやって触れ合うことはルフィにとっても喜びに違いない。
「触れると一口に言っても、さまざまですからねえ。ルフィさんは、どう触れて欲しいのでしょう」
「うーん」
ルフィが腕を組む。麦わら帽子のつばの下で大きな目をぱちぱちと瞬かせ、ううむと唸る。肩を組んで、喜びを分かち合うハグをして、昼寝をするときはいつのまにか固まっていたりもする。改まった触れ合いは珍しいから悩むのかな、とチョッパーはルフィを見上げながら気付いてしまった。ウソップやサンジ、ゾロはそういうスキンシップをしたりされたりはしょっちゅうだ。けれど、ナミやロビンはそうでもない。人によって違うのは考えてみれば当然だ。嫌がることはしちゃいけない。
「ルフィ、誰に触って欲しいんだ?」
きっと、この船にいる仲間たちなら、ルフィが手を伸ばしたところで拒絶する人はいない。だってみんなルフィのことが大好きだ。太陽みたいに明るくて、強くて格好いい。子供みたいにわがままも言うし、勝手だし、でも誰よりも自由に生きている。そんなルフィが大好きだ。だからこの船に乗っているし、この船で仲間と呼ばれることを誇りに思う。そんなルフィを受け入れこそすれ、拒絶するなど考えにくい。だからこそ、チョッパーは誰のことを言っているのだろうと思ったのだ。ルフィに躊躇わせてしまうような何かがそこにあるから、ルフィは立ち止まっている。
果たしてルフィは口をむっと尖らせて、もごもごさせたあと、波にかき消されてしまいそうなほど普段からは想像できないくらい小さな声で言った。
「トラ男なんだ」
と。


つづく


 




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