「シアと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 酷くぎこちない礼。優雅とは言えない。けれど精一杯頑張っている様子はうかがえる。
 今日の主役である弟がにこりと笑う。

「はじめましてシア嬢」

 顔を上げた少女は、どこか垢抜けない野暮ったさを感じる。衣装も化粧も髪型も、流行を押さえてあるというのに。
 弟が彼女の両親へ視線を戻す。

「ビクスビー公爵様にこんなに可愛らしい令嬢がいるとは、存じませんでした」
「この度縁があって、我が家に迎えることになったので……」

 ビクスビー公爵の言葉は歯切れが悪い。視線も泳いでいる。
 隣の公爵夫人の目が、仕事中のウチの父並みに冷たい。



 弟には、ビクスビー公爵の唯一の子供だった長男の顛末を聞かせていない。家族の誰も、それを伝えることはしなかった。使用人たちが喋る事もない。
 跡継ぎだったカーライルは、王宮で療養していたレグルスに危害を加えようとした。その罪を問われ廃嫡となり、領地の別邸に幽閉されたと聞いている。
 そして跡継ぎのいなくなったビクスビー家に新たに迎えられたのが、このシア嬢だ。
 彼女は公爵夫人が産んだわけではないが、ビクスビー公爵の実子だという。



 おそらく市井で暮らしていただろう彼女は、随分おどおどとしていて、落ち着かない様子だ。時折継母に小突かれている。
 父が俺を呼ぶ。

「ハーヴェイ、立夏の宴は大丈夫だろうな?」
「ええ、勿論。休暇届はもう出してあります」
「デミトリィ卿、どうか、娘を頼む」
「誤解を招く発言はおやめください、ビクスビー公爵。俺が承諾したのは、夜会でのエスコートだけです」

 変な話になっても困る。既に弟が変な顔をしているというのに。
 弟は小首を傾げる。

「ヴィー兄様がビクスビー公爵令嬢をエスコートされるのですか?」
「婚約者もいないし、家格的にも丁度釣り合うからな」
「ビクスビー公爵令嬢は、デビュタントされるのですよね?」
「はいっ恐れ多くもさせて頂きます!」

 やたらと元気のいい声に、苦笑が漏れる。しかし弟の表情は変わらなかった。

「ということは、今年国王陛下と踊られるご令嬢は、ビクスビー公爵令嬢になられるのですか?」
「は?」「え?」「あ!」

 キョトンとした公爵令嬢に対し、父親たちはしまったという顔になる。俺も事の重大さを思い出した。



 社交シーズンの始まりを告げる王宮主催の夏至の宴。
 国王の挨拶から始まり、続いて王族のみのダンスとなる。王妃が長く王宮不在の為、陛下はデビュタントする令嬢の中から、一番身分の高い者と踊られるのだ。

 公爵令嬢。国内に今は四家しかない公爵家の娘。

 間違いなく、今年、一番身分が高い令嬢だ。



 説明されるにつれ、公爵令嬢の顔から血の気が引いていく。そしてぶんぶんと頭を振った。

「むりむりむりむり!国王陛下と踊るなんて、絶対無理!!」

 付け焼刃の礼儀作法も吹き飛んでいる。涙目で継母の公爵夫人を振り返る。

「無理です、お母様!そんな話聞いてないし!!」
「無理でもやるのよ!」

 パンっと扇を手に打ち付け、ビクスビー公爵夫人は毅然と言い放った。すっと眇められた目に、令嬢が「ひえっ」と声を上げて身を竦める。
 なるほど。公爵夫人は気付いていて、敢えて口にしなかったという訳か。

「ビクスビー公爵夫人。ごめんなさい…」

 弟がしゅんと肩を落としている。
 ビクスビー公爵夫人は笑った。

「いずれバレる事でしてよ。令息が気にされる事ではありませんわ」
「まあ…陛下なら事情も分かっていらっしゃるし、上手く相手をしてくださるだろうが……」

 ビクスビー公爵が顎を撫でている。
 俺たちが知る国王陛下は、気の好い小父さんといった感じだ。父の従兄で幼い頃から知っている分親しみしかないが、市井で育った令嬢には畏怖しかないだろう。
 公爵令嬢は今にも倒れそうだ。そんな彼女に呼びかける。

「ビクスビー公爵令嬢」
「…ひゃい」
「特訓しましょう」

 真っ青な顔をした令嬢が、恐る恐るといった様子でこちらを見上げてくる。
 そんな彼女の手を取る。

「挨拶を間違えたところで、陛下は気になさいません。足を踏まれたところで、笑って流す度量をお持ちの方です」

 やんちゃ盛りだった兄と俺がどんな悪戯をしても、怒るようなことはしなかった。人並みに注意や叱りはしても。

「けれど、令嬢はそれでは済まないとお考えなのでしょう?」

 令嬢が涙のたまった眼でこくこくと頷く。

「ならば練習あるのみです。とにかく一曲、最初の一回を乗り切ればいいだけなのですから」

 令嬢の手を取る。彼女は大きく目を見開いた。ぽかんと口が開く。
 驚いた時の弟と同じ表情に思わず吹き出しそうになったが、咳払い一つに留めた。

「ビクスビー公爵、ご令嬢をお借りしても?」
「どうぞ、良しなに…」
「お願いいたします」

 公爵夫婦は深く頭を下げてきた。
 令嬢の方はまだ頭の回転が追いつかないらしい。ぼんやりしたまま、引いた手に付いて来る。
 くんっと袖を引かれた。視線を下げると、弟と目が合う。

「ヴィー兄様。僕、ヴェル兄様にも一度練習に付き合って頂けるように、お願いしてみますね」
「ああ、それはいいな。出来ればルー小父さんにもお願いしたいなぁ」
「聞いてみます。あ、父様も付き合って差し上げてくださいね。きっと度胸が付きます」

 確かに、筆頭貴族である父とまともに踊れれば、国王との壁もぐっと下がるだろう。
 添えた手がびくりと強張るのは気にせず、逆にしっかりと握り込む。そして俺は公爵令嬢ににっこりと微笑んだ。

「さあ、しっかり特訓しましょう」
「特訓…そうだ、この人騎士って言ってた……脳筋!!」
「本物の脳筋はこの程度で済みませんからね」
「ひえぇっ!!」

 中々ひょうきんなご令嬢のようだ。がっちり握った手から逃れようともがいている。
 令嬢を半ば引き摺るようにして大広間を出た。後ろで弟が憐れむように手を振っていたことを、俺は後から知った。








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