清田信長と年上マネージャーのお話








今年の春、バスケ部に入部してきた二つ下のノブと一緒に帰るようになったのは家の方向が一緒だからというよくある理由だった。


インターハイが終わればいよいよ世代交代。マネージャーだった私も例に漏れず牧たちと一緒に引退して受験生になったのだ。


運良く推薦で進路が決まったお陰で受験勉強という重い言葉からは早々に解放されたが、大学入学後、受験戦争を勝ち抜いてきた未来の友人たちに置いていかれないよう毎週金曜日は自習室で勉強することにしている。





「そろそろ終わる時間かな」





黒板の真上にある時計を確認するともう19時を回っていた。金曜日の自習室にこの時間まで残っているのは私だけ。

誰もいない空間で縮こまっていた体を白い天井に向かって思いっきり伸ばすとぽーっとしていた頭が冴える。


一年は練習後にモップ掛けとボール磨きをしなきゃいけないから20時には帰れるかな。今日は寒いから自販機でノブが好きなココアを買っておいてあげよう。

机に広げていたノートとペンケースを鞄にしまい、お気に入りのボルドー色のマフラーを首に巻きながらそんなことを思った。






体育館のドアから顔だけ出して中の様子を確認するとそこにはモップ掛けをしているノブもいなければ隅っこでボールを磨いているノブもいない。首を傾げる私の存在にいの一番に気がついたのは神君だった。





「先輩、お疲れさまです」

「お疲れさま。相変わらずシューティング練習は欠かさないのね」

「先輩も相変わらず金曜日は遅いですね」

「………そんなことない」

「引退してからほぼ毎週見てますよ」

「何が言いたいの」

「それは先輩がノブのこと、」

「ちょっと、!」





彼の言葉を遮ったのは体育館倉庫からこちらに向かって走ってくるノブの姿が目に入ったからだ。私の視線の先を辿った神君は納得したように小さく笑う。





「すんませーん!待たせてました?」

「ううん。もう帰れるの?」

「もう平気っす。着替えてくるんであとちょっとだけ待っててください」





部室棟へと消えていくノブの背中を見つめていたら頭上でくくくっと笑いが漏れていることに気づく。笑うなんて誰よ!と見上げて確認する必要もない。





「神君、何が面白いの?」

「面白がってるわけじゃないですよ。可愛いなあって思っただけです」

「え!?」

「ノブが走って来るのを見つけた時も話している時も、走り去っていく背中を見つめている時も先輩ったら恋してますって顔してたから」

「変なこと言わないでよ。ただノブは可愛い後輩で、」

「オレだって可愛い後輩でしょう?でもオレとノブは違う」

「………」

「早く素直にならないとあっという間に卒業ですよ」





私に背を向けてシューティング練習を再開した彼はそれ以上何も言わない。

ボールは彼の手を離れると正確な弧を描いてリングに吸い込まれていく。

神君の一つ一つの言葉となめらかにネットを揺らすシュートの音がやけに耳に残る。




あっという間に卒業、か。

何もかも神君の言う通りだ。




それから五分後、体育館へ戻ってきたノブに声をかけられるまで私はその場に立ち尽くしていた。ノブが神君の背中に言葉を投げかける前に彼は首だけをこちらへひねって「先輩と帰るんでしょ?ごゆっくり」と優しい笑顔を向けた。




熱気のこもった体育館から一歩外へ出ると全身を突き刺すような寒さが襲ってくる。特に守られることなく外気にさらされるスカートから伸びた脚が悲鳴をあげる。

その一方、ノブは部活でポカポカのままの体温を戻すのにちょうどいいとでも言うように平気な顔をしていた。ノブの長髪はまだ少し汗で湿っているから冷えて風邪ひいちゃうんじゃないかなんて心配になる。





「調子はどう?」

「そりゃあもう絶好調すよ!!流川や赤毛猿なんか目じゃねえし、清田信長、冬の選抜でも大活躍間違いなし!」

「あははっ、相変わらず。みんなで見に行く予定だからしっかりね」

「任せてください。大船に乗った気分でドーン!と安心して見てられると思いますんで」

「ノブは随分頼もしくなったね」

「……っ、な、なんたってNo. 1ルーキーすからね!!」





ポケットに手を突っ込んだままその場に立ち止まり、かっかっか!と大笑い。バスケの話をする時の得意げな表情は入部した頃と変わらない。

大口を叩くこともしばしばあるけれど、それは彼の実力とそれ以上の努力に裏付けられる自信故の発言だということを知っている。そして私が彼を褒めると一瞬黙って目を泳がせてからとびきり嬉しそうに笑うことも。




だからこそ期待してしまう。

この恋も叶うんじゃないかって。




出来るだけゆっくり歩を進める。歩幅の大きいノブも私に合わせてゆっくりと歩いてくれる。

本当は寒くてすぐにでも暖かい我が家に飛び込みたいけれど、それ以上にノブと一緒にいたい。



数分、数秒、ほんの少しでも肩を並べて歩くこの時間が続いて欲しい。

ずーっとずっと。
この時間が続けばいいのになあ。


星のない空に願いをかける。そんなことしても濃紺の空が何か返事をくれるわけでもないのだけれど。





「そういえば神さんがごゆっくりって言ってたけど何だったんすかね?帰るだけなのに」

「何だろう。………帰る、だけなのにね」





ノブはさほど気にすることもなく頭の後ろで両腕を組んで空を見上げながら歩いていく。私も同じように空を見上げた。

やっぱりそこには星は見えなくて、紺色の絵の具をそのまま塗りたくったような空がどこまでも続いている。ノブの目にも同じ空の色が映っているのだろうか。


ただ、一緒に帰るだけ。

ただ、帰り道が同じだけ。

ただそれだけだ。


それなのに私は引退した今でも土曜日の部活が変わらずに午後からなのを知っていて、金曜日ならば少しでも長くノブといられるかもしれないなんて期待して勉強を建前に彼を待っていた。

今日だって彼が喜ぶかもしれないからと思って体育館に向かう前に購買前の自販機でココアを二つ買った。それも渡すタイミングを見失って鞄の中に隠したままだ。


なぁんだ、こんなに浮かれてたのって私だけだったんだ。

毎週この日を楽しみにしていたのは自分だけだったのだと思うと途端に虚しくなった。


帰るだけなのに


その言葉を胸の中でなぞるとチクリと痛みを感じた。





「……先輩?」





ノブの声は随分と遠くから聞こえた。自分でも気がつかない内に空を見上げながら立ち止まっていたらしい。

革靴の鳴る音がゆっくりと近づいてくる。私は尚も星のない夜空を見上げる。



冬の夜空って澄んでいてもっと星が瞬いて、もっともっとロマンチックなものじゃなかったっけ。





「どうしたんすか?さっきから、」

「今日で最後にしよっか。金曜日こうやって一緒に帰るの」

「え?」

「思えば勉強なら家でもできるよなって気づいちゃった。それにほらノブにも可愛い彼女なんか出来たらこうして貴重な帰りの時間取ったら悪いし。あ、もしかしてもういたりする?そしたらゴメン!私ったら相当お邪魔虫だよね」





へへへっと笑っているつもりが鼻の奥がツンとなる。おまけに涙まで溢れてきて慌てて下を向いた。

私の目には自分の茶色のローファーとノブの大きな黒のローファーの先だけが映る。それはもうすぐ、あと8センチでこつりとくっついてしまいそうだけれどそれがほんの少し遠い。





「オレ、彼女なんかいないっす」

「………そ、なんだ」

「いないんすよ、」

「う……、うん」

「……ハイ」

「………」

「その……、先輩が嫌って言うなら今日で最後でも、」

「………うん」

「いや、やっぱり今日で最後なんてオレが嫌だ」

「え、」

「先輩が嫌でもオレは、……オレは毎週この日を楽しみにしてました。部活の話すると先輩が笑ってくれて、オレのこと褒めてくれて。それがちょっと恥ずかしいけど、でもすっごい嬉しいんすよね」

「ノブ………」





勇気を出してゆっくりと視線をあげる。ノブは少し赤くなった頬を人差し指でかきながら左側に視線を泳がせた。

でもすぐに何かを決心したように私の瞳を真っ直ぐ見つめたのだ。





「先輩は嫌すか?ただ一緒に帰るだけかもしれないけど、こうして二人でいるの」

「…………っ」

「オレと一緒にいるの、嫌っすか?」





真っ直ぐ私だけを見つめてそんなこと言うなんて、狡いよ。





「嫌じゃ、ない……」

「……良かった」

「私だってノブと同じくらい、ううん、ノブよりもずっと毎週楽しみにしてたの」

「マジ……すか?」

「うん。早く金曜日にならないかなって思ってた」

「うっわ……ヤベェ、嬉しい……」





口元を手の甲で押さえるノブの顔は益々赤くなっていく。その姿と自分の発言を思い返すと私まで恥ずかしくなってきた。

待ち遠しいと思っていた。この時間を楽しみにしてたなんて今までずっと言えなかったことを流れに身を任せたとはいえ本人に伝えたのだ。



相変わらずキラリと光る星のない濃紺の夜空だけが私たちを包むように広がっている。でも今はほんの少しだけ澄んでいるように見えるんだ。





「先輩、これからは寄り道していきません?」

「寄り道?」

「少しでも長くいられるように」

「……うん。じゃあ今日はもうここまで来ちゃったしこれでどう?」





鞄に忍ばせていたココアをノブに見せれば彼は目を輝かせた。

近くの公園のベンチに座って一口飲んだココアはもうだいぶぬるくなっていて変に甘さが際立っていたけれど。





「先輩が買ってくれたからいつもよりうまいっす!」





私の大好きな笑顔を見せてくれる彼のおかげで今まで飲んだどんなココアよりも甘くおいしく感じた。










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