ねえ、キスをしようか。
あれはしっかりと記憶に刻み付けた過去の思い出。
幼い君と、幼い僕。
早熟と言われていた僕は僕らしく、目を丸くしている君の唇を奪った。
あまりに素早く、あまりにさり気無く。
そして、君が怒るという感情を出すべきかの判断すら出来ないことに、笑んだ。
君にとってはただの接触。
なにも特別な意味をもたない行為。
それでも僕にとっては、何物にも変えがたい甘い誘惑。
「え、幼稚園の頃?……あんまり覚えてない、けど。」
「そう?良かった。」
にっこりと微笑む僕を見上げて毛足の長い絨毯の上に押し倒され、戸惑う表情を隠せないらしい。
そんな素直なところも可愛いと、思う。
此処は僕の家で、リビングで、今日は誰も帰って来ない。
裕太は相変わらず聖ルドルフの寮で過ごしているし、姉さんは友人と旅行だし、母さんは父さんに会いに行っている。
滅多に無いこのチャンスを逃すことなど、僕には出来やしない。
案の定、言葉巧みに誘いをかければ愛しいあの子は大人しくやって来た。
勿論、彼氏と彼女の関係ではあることだし。
それなりの心の準備くらいはしてきていたことだろう。
夕食を共にして片付けを済ませ、テレビを眺めていた華奢な身体を抱き締めた。
そして、ソファには押し倒さずに敢えて絨毯の上に彼女の身体を横たえた。
顔を赤くさせるのを心から愛しく想いながら頬をそっと撫でて、額や瞼に小さなキスを降らせる。
そうしていて思い出したのが、あの幼い頃の内緒の遊戯。
君はきっと口付けだなんて思っていなかっただろう。意識すらしていなかっただろう。
ただ唇が触れただけで、記憶の片隅にも残っていないだろう。
そう予想はしていたけれど、やはりというか覚えていないと口にされて、僕は心から安堵した。
「…………好きだ。好きだよ。」
甘い甘い声音で言葉を吐き、その唇を奪う。
僕は、あれから直ぐに父親の仕事の都合で引っ越すことになった。
青春台に戻ってきたのは小学校高学年の頃のこと。
転入先の公立小に馴染めなかった僕が私立の青学の中等部に通うことになったのは自然だと思う。
そして偶然にも其処で再会した。
相変わらず、どこか無防備で無邪気な笑顔は変わりない。
僕はそれに安堵しながら、他の男が近付かないように極力気を配っていた。
嬉しいことに彼女は初恋も未だしていないと友人に漏らしていて、僕は優しく近付く事でまんまと初恋の男の座を射止めた。
それだけじゃなく、初めての彼氏にもなったというわけだ。
執念深い?
そうかも知れない。
けれど僕はあの幼い日からずっとずっと好きだった。
何度でも、彼女の総てを奪いたいと思っていた。
そして、それが叶った。
叶うんだ。
「…………ん、周助。」
キスの合間に漏れる蕩けるような声。
付き合いはじめてから僕は一度もキスをしたことがなかった。
きっと軽く触れるだけじゃ物足りなくなってしまうことが予想出来ていたからだ。
だってこれは、僕達の二度目のファーストキス。君の初めての相手は、何時だって僕じゃなきゃいけない。
何度も何度も重ねて。
それだけじゃ足りずに。
「好きだよ。」
愛してるよ、の言葉はまだ早いだろうか。
僕の気持ちだけなら、とっくに其の枠を超えているのに。
「……嬉しい。周助のことが私も、好き。」
甘く微笑む彼女を再び抱き締めながら、僕はそっとその体躯に触れる。
女らしい丸みを帯び始めている体は、僕の手に驚く程良く馴染んだ。
彼女だからこそ、と心の中で微笑みながら、再び口付けを落とす。
分かってたよ。
幼いあの日、幼稚園の小さな校庭。遊戯の影に隠れるようにして、君に口づけた時から。
君が僕のものになること。
身も心も何もかも僕が手に入れること。
きっと知っていたんだ。
疑う余地すらないほどに。
「ねえ、…………ゆっくり愛してあげるから、僕のことだけ想っていてね。」
他の誰かなんて君の瞳には映らない。
大丈夫。
何よりも誰よりも、僕が君を愛してる。
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