御礼は一種のみですがお楽しみいただければ幸いです。
※現代ものです。ご注意ください。


「次は血液検査になります」
白衣の若い女性が事務仕事の延長のように言って、紙を手渡す。あらかじめ受付で振られた番号と氏名を確認し、誤りがなければ次の行程に送るという流れ作業を、この女性はかれこれ一時間以上続けていた。
会社の定期検診といえば、ありふれた光景である。開始時間から一時間過ぎたころ、空く時間と狙って三成はこの部屋に来たのだが、受付を通った途端にこれだ。
仕方なく最後尾につき、緩慢に進んでゆく列の一端を為した。そこから、三成はぼんやりと検診の光景を眺める。
女性は目を合わせるのも億劫なのだろう、鉛筆を走らせながら一列に並んだ男たちに用紙を渡していく。その様子に、さしたる疑問もなかった。
「むさ苦しいのばかり並んで、お姉さんも大変ですね。」
ふと静かに耳に響いた声に、三成は直前に並ぶ男を見た。中年男性にしては弛みのないがっしりとした体つきで、しかしその大きな体躯に不似合いな人好きのする笑みを浮かべて女性に声をかける。
女性の方も、つと顔を上げて男を見ると、満更でもなさそうに笑顔を見せた。他の男たちにはなかった会話が一言二言交わされる。流れ作業には余計な行程が加わったのにもかかわらず、女性が機嫌よく笑っている様子に三成は内心首を捻った。
「ええと…石田さんですね?混んでますから、前の方に続いてお待ち下さい」
ついに三成が彼女の前にやってくると、大男の恩恵か、言葉も態度もずいぶんやわらかい。事務的なやり取りだけとはいえ、不機嫌な顔をされるより余程気分が良かった。
三成が案内された椅子に腰かけると、入れ違いに男は血液検査に移る。三人ほどが入れ替わりで採血することができるように、中年の女性がそれぞれの分担場所に立っている。
男はまた、なにやら声をかけている。それが三成の耳に届くことはなかったが、採血の度に血管を探られる苦痛を今回は回避することができ、もはや男が何を言ったかなど、どうでも良かった。
検診を一つ一つ済ませながら、三成のひとつ前の番号を振られているであろう男は、先々で陽気に振る舞った。それは男のやさしさなのか、はたまたただの女たらしなのか、三成にはまるで区別がつかなかったが、それでも少なからず恩恵をもたらしてくれた男に嫌悪感はない。
その男の横顔や後ろ姿を見ながら、いつの間にか三成はこの男と話してみたいという細やかな興味が湧いた。
検診が終わりに近づくにつれ、先に並んだ者が気付けば疎らになっていく。レントゲン撮影のため、社内から外に配置された車両へと移動すると、少し前を男が歩いていた。三成はその後に続いて靴を脱ぐ。
用意されたスリッパに履き替えたところで、三成は立ち止まった。
ばさり、と音がした方へ顔を向けると、男はカーテンの中を覗き込み、それからすぐにこちらを省みる。
「中、もう一人大丈夫ですよ」
当たり前のように掛けられた言葉になんと返事をしただろうか。ああ、とも、うん、とも取れない曖昧な応えを返して三成は男の言葉に従った。
狭い待合室に二人並んで座る。レントゲン室と扉一枚で隔てられたそこは、厚いビニールのカーテン一枚だけが辛うじて内と外とを隔てていた。
容易に崩れる密室に男と二人、並んで座る。こんなとき見ず知らずの人間と何を話せば良いのか、三成は経験に乏しい。
話してみたいと思いながら、結局この男のように世間話のひとつもできないのだと思うと、三成は存外情けない自身に腹が立つのだった。
「はい、お待たせしました」
軽快な音とともに自動扉が開き、白衣の男性が姿を見せる。突然破られた沈黙に一瞬肩が跳ねたが、立ち上がった傍らの男には気づかれなかったようだ。
男は狭い待合室で三成にぶつからないようワイシャツを脱ぐ。シャツが翻り、広い背中が覗いた。
「島さん、ね。はい、こっちに荷物置いて―」
再び扉が閉まり、狭い空間に一人残される。
三成は島と呼ばれた男の名を反芻しながら、不甲斐ない己を叱咤した。部下とコミュニケーションを図ることが苦手で、仕事となるとつい言葉も厳しくなる。それがいけないと、三成をよく可愛がってくれる社長にも言われているところだった。
純粋に話をしてみたいと思っていたはずが、情けない自分自身を省みるうちに、三成はあの男と話をすることが課題であるかのような心持ちになっていた。
ふと、自動扉が開いて男が戻ってくる。シャツのボタンを留める武骨な指先を見ながら、ついに三成は口を開いた。
「話をしたい。屋上で待っていてくれないか」
男は何のことだと言わんばかりに呆けた顔でこちらを見ている。しかしそんなことはお構い無しに、三成は清々しい面もちで自動扉の先へと踏み出したのだった。



同じ社内の違う部署で働く2人。
殿は課長で島さんは平社員。で、殿の部署に吸い上げられてしまえばいいなと。



一言あればどうぞ
あと1000文字。