『未明のベンチ』

 俵万智よろしく「寒いね」と話しかけても千枝は寒いねと返してはくれないけれど、私の肩を抱く力を強くしてくれるから十分に温かかった。
 夜明け前は一番暗いと聞いたことがある。それが本当かどうか知らないが、新月の未明に星はよく見えた。街灯もない川沿いのベンチに二人寄り添って、冬の星座を見つけていく。
 千枝の声は星なのだと思う。普段は昼間の星のように、誰にも、私にも聞こえない。でも、こういう時、例えば私の手を取ってふたご座を指してくれるその手の平や、触れあいそうな頬や、手元の星座図本をペンライトで照らしながら魔法の本を読んでいるように輝く瞳から、私は彼女の声を聞くことができる気がする。筆談とは違う、もっと直接的な声を。
 それは、私の勝手な思い込みかもしれない。大昔の人が、たまたま地球からはそう見えるっていうだけの星の並びへこじつけみたいに神話の登場人物を当て嵌めて星座を作ったみたいに、たまたま私にはそう感じられたってだけで、千枝の存在を私に都合よく解釈しているだけなのかもしれない。
 多分、そうなのだろう。
 それでも、千枝は私とこんな時間に、こんな寒い場所で一緒にいてくれる。私はその事実に、すがって、甘えて、信じて、頼って、でもきっとそれは特別なことじゃなくて、悪いことでもなくて、千枝が言葉を発せるとか発せないとかと無関係に、人と付き合うとはそういうことだと思う。何にも信用できなくて、何だって証拠になる。
「寒い!」
 私は小さく叫んで、思い切り彼女に抱きついた。
 千枝はびっくりしたように数秒固まってからギュッと私の頭を柔らかな胸に抱えてくれて、私はこうやって抱き合えることを私たちの何か大切な証にしたいのだと、願いを抱くしかないのだ。ひどく無力で幸せな願いを。



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