「戻りました」

 リビングへと続く廊下を進みながら一足早く帰宅しているはずの同居人に声をかけた。普段ならばすぐにおかえりと返事が返ってくるというのに、何の反応もない。それどころか姿さえそこにはなかった。

「御堂さん?」
  
 ソファの上に鞄と上着を放って呼びかけたがやはり返事は無い。風呂場を使っている様子も見受けられなかった。一人で外出するという予定も聞いていない。まさか先にやすんでいるのだろうか、とベッドルームに向かってみると、扉を開いた途端生ぬるい風を感じた。空調が止まった暗い部屋の奥でベランダへと続く窓が開いている。ああ、そうか、と納得した瞬間に、どん、と腹の底に響く音がする。



「御堂さん」

「ああ、お帰り、佐伯。気付かなかった」

 ひらひらと揺れるカーテンを引いてベランダに出ると思ったとおり御堂はそこにいた。克哉の声で振り返った彼の背後で赤や緑といった光の粒が、ぎらぎらとしたビルの谷間で一際明るく散らばった。続けて再び大きな音。

「リビングからも見えるのに、どうして外へ? 暑いでしょう」

 スリッパをひっかけたままで御堂のすぐ隣に並んで立ち耳元に唇を寄せた。とうに日は沈んでおり、ここは高層階でもあるから地上よりは遙かにましなのだろうが、外気はやはりじっとりとした熱を孕んでいた。
 
「なんとなく、な」

「どうせなら、俺も誘ってくれればよかったのに」

「本当に、そうだな……すまなかった」

 軽い冗談のつもりが、御堂の返答は真摯なもので、言葉が続かない。

 花火が始まっていたのにはオフィスにいる時から気づいていたのに、克哉のほうにも、御堂と一緒になどという考えは浮かばなかった。花火大会など正直どうでもいい。目にすればきれいだとは感じるが、ただそれだけだ。より近くで見るために人ごみの中へわざわざ繰り出すようなことはしない。

 だが、ぼんやりと花火を眺める御堂を眺めていると、途端にそういうのも悪くないかもしれないと思う単純な自分がいた。

「しかし、やはり暑いな」

 克哉が無言のまま向ける視線をよそに、花火に見入っている様子の御堂がぽつりと呟き、こめかみに滲む汗を手の甲で拭う。

 どうということの無いその仕草が克哉の目に妙に艶かしく映る。それは自分がこの人とセックスをしているからだろうか。それとも他の誰かにも、そんな風に、と考えて、克哉はすぐにその考えに蓋をした。突き詰めていくと、出口のない場所へ迷い込んでしまう。あのときみたいに。自らが望んで起こした結果だというのに、後悔に塗れて逃げ出すなんて、後にも先にもあの一度きりにしたかった。

 花火は佳境に入ったか、立て続けに空で開いて、はらはらと尾を引いて流れるように落ちて消えていく。それを目の端に捕らえながら克哉は御堂を見つめ続ける。激しい雷のような音が耳鳴りを生む。その音が頭の中で響いているうちは、余計なことを考えないで済むだろうか。

「佐伯」

「ん?」

「お前、花火見てないだろ」

「ええ。あんたを見てるんで」

 自分に絡みつくものを察したのか正面を向いたまま御堂が眉根を寄せて不満げに漏らす。克哉が正直に答えると、表情がさらに苦々しいものに変わる。その横顔を見て克哉は小さく笑った。そういう顔をするのはは照れている時だと知っているから。

「佐伯……お前、去年は見たか」

「花火か? さあな。あったかどうかも覚えていない」

「私も同じだ。毎年見てたような気がするんだが。去年はどうだったのか、というより何をしてたのかちっとも思い出せない」

 御堂の言葉で、思い返そうとしてみたが元々興味の湧かない花火がどうこうという以前の問題で、何もかもが曖昧だった。改めて思えば御堂と離れてからのものは全ておぼろげだ。

 再びはっきりと形を取り戻したしたのは、再会を果たしたあの雪の日からのように感じた。

「……誰かと一緒だったなら覚えていたかもしれないが」

 一人でいたんだろうなと御堂は言った。

「……でも今は」

 手を伸ばせば届く場所にある御堂の肩を抱き、腕の中に引き寄せた。

「……そうだな」

 途切れたその先にあるものを理解したのか、凭れ掛かってきた御堂のその首筋に顔を埋めた。

 この人の体温と、肌と、香り。一度に感じて克哉の中で欲が膨らむ。いつだって、抱きたいと思っている。そんな相手だから、少しでも肌が重なってしまうと、そこから先はあっという間だ。
  
「……あまり引っ付くと、汗臭いだろう」

「いい匂いですよ……すごく、興奮する」
 
 殊更低い声で耳の奥に吐息と混ぜて吹き込んで、汗の浮かんだ御堂の項をべろりと舐め上げた。舌に感じたのは潮の味。

「あ。馬鹿、舐める、な……」

 びくりと腕の中で跳ねた身体を、克哉は更に強い力で抱き締める。

「そんな気になる、なら、俺も一緒に汗、かきましょうか」

「おい佐伯……花火、がまだ……っ」

「ええ、どうぞ。あなたはそのまま見ててくれて構わない」

 耳朶を舌で擽って、囁きながら胸元をまさぐれば、早い鼓動が伝わってくる。腹まで這わせた手でシャツを掴んで引きずり出して裾から掌を差し込み、上へ向かって撫で上げた。ボタンを嵌めたままのシャツが捲れ上がってゆく。克哉が触れた場所から新たに汗が滲む。掬い取るように動かして、そのまま乳首をぎゅうと押しつぶすと御堂が身を捩る。

「ん……っ」

 空いたほうの手で襟元からボタンを外し、ひらいた隙間から差し込んだ手を伸ばし御堂の顎に先を促すように触れた。

「っ…さえ、き……」

 一度俯いてから、意を決した風に肩越しに御堂が肩越しに振り返る。御堂の瞳はしっとりと涙に包まれていて、暗い夜の中にある光を跳ね返す。自分に向けられたその眼差しを見据えながら、克哉は御堂が欲しているものを正確に受け止めていた。花火はもういいのか、とは口にしないままゆっくりと唇を重ねた。すぐに誘うように開いた御堂の唇に舌を滑り込ませる。熱い舌が絡んできて唾液が濡れた音を立てる。花火はまだ続いているのに、くちくちと、その小さな音だけしか聞こえなくなっていく。もうあの大きな音に頼らなくとも、克哉の内に余計な考えが入り込む隙間は失われ、ただ腕の中にいる相手を求める気持ちしかなくなった。

「は……っ…あ…んん」

 湿った吐息を漏らす御堂の体は芯を失ったように柔らかく崩れていく。克哉はそれを支えながら、指先で喉仏を辿り、鎖骨に触れると、首筋からつうと汗が垂れてくる。全ての指を使って擦り付けるように撫でまわす。そうしていると自分の体も内側からの熱のせいで汗ばんでいくのを感じた。唇の形が歪むほどに押し付けあう口付けは深く激しくなる。体をめぐる熱で頭が痺れて下半身が疼き始める。兆し始めたそこを、御堂の尻のにぐりと意識して押し付けると、御堂の体が途端にきゅっと強張った。

「さ……えき……」

 キスをする前と同じように、ただ名前を呼ばれるだけで克哉は御堂の言わんとすることが分かってしまう。

もっと焦らして、もっと露骨に強請ってほしい気持ちもあったが、それよりも今は、汗に塗れた御堂の肌を早く味わいたかった。

「ええ。分かってます」

 ぱっと体を離して御堂の腕を掴み、部屋へと戻った。


 空調は止めたまま、窓も開け放したままで、ベッドの上で御堂に圧し掛かる。

 触れる前から答えは分かりきっていることだけど、やはり確かめたくて、克哉はすぐに御堂の股間に手を伸ばす。あ、と声を漏らした御堂の膝がびくりと跳ねた。

「もうこんなに、硬くして」

「……ん……っ…お前だって、そうだろ……っ」

 掌に伝わる感触から、もう完全に勃起しているらしいことが分かる御堂のそこを揉みしだき、含み笑いで囁くと身を捩りながら御堂が訴えてくる。だがそんなことは克哉からしたら当然のことなので特に反論もせずに、御堂のベルトを外し前をくつろげて、下着に手を差し入れた。そこに、新たに御堂を煽る材料を見つけて、ぞくぞくと背筋が興奮で震える。

「あ、……ぁ……んっ」

「否定はしません、けど俺はここまでぐしょぐしょじゃあないと思います、よ」 

 先走りを溢れさせて、濡れた先端を、更に蜜を搾り出すように指先できゅうと摘むと御堂が喉を反らせて喘ぐ。その姿を見ていると、自然と息が上がって、声の温度が上がってしまう。

「や……言う、な……っ」

「どうしてです?」

「は、ずかしい、から、だ…っ」

「恥ずかしい、って思うから恥ずかしくなるんですよ」

「お前は。また、そんな……、屁理屈」

「それとも、恥ずかしいのが、気持ちいいのか?」

「……っ」

 御堂を辱めるような克哉の言葉は、昔とは違って御堂を傷つけるためのものではない。ただ互いをより昂ぶらせるのためのもの。克哉の手の中にある御堂のペニスは、目論見どおり顕著な反応を見せ、ぐっと膨みを増し、たらたらと先走りを零した。

「御堂さんは、ほんとに、可愛くて、たまらないな」

「……誰が……っ」

「可愛くて、いやらしくて……大好きですよ」

 ちゅ、と音を立てて克哉は御堂の瞼の縁に、頬に、鼻先に口付けた。克哉の唇が皮膚に触れるたびに御堂はひくひくと肩を揺らす。その動きと重なって震えるペニスをゆっくりと扱いて、一際大きく体が跳ねたところで、唇にキスを落とす。喉の奥から漏れる御堂の声が、克哉の口腔で響く。

「はぁ……あっ、……ん、んん」

 深い口付けを交わしながら、首元に御堂が触れてくる。されるがままにしているとしゅるしゅると布の擦れる音がして、ネクタイが引き抜かれ続けてボタンが外されていく。開かれた胸元へ首からだらりと汗が流れていくのが分かる。暑いのは嫌いだ。空調を止めて、窓を開け放したままの部屋の温度は、冷房に慣れ切った体にはかなり暑苦しく感じる。暑さを嫌っていても、そのせいで普段より高まっている御堂の熱にはとても興奮させられていた。

「……俺ばっかりじゃなくて、あんたも脱いで」
  
「わか、った」

 まだ嵌まっていたボタンを一つ外してやり促しておいてから、克哉は体を起こしシャツを脱ぎ捨てて、ベルトを外す。金属の音にに反応するように御堂が視線を向けてくる。克哉はそれを見逃さない。そのことを敢えて指摘せずに、見せ付けるように硬く勃ちあがったペニスを下着から取り出した。最後のボタンにかかっていた御堂の指先が止まる。御堂さん、と優しく呼ぶと縋るような目で見つめてくる。よく知っている表情、欲しくて堪らないという顔。

「次は、どうしてほしい?」

「佐伯……」

 分かっているだろう、と御堂は続ける。

「ええ。分かってますよ。でも言って」

 視線で、言葉で、行動で。ありとあらゆるやりかたで、求められたい。この人にだけ。

「…………お前が、欲しい」

 熱い掌が、ひた、と胸の辺りに押し当てられる。触れられて鼓動は一気に早くなる。手を取って、首元に柔く歯を立てた。

 汗ばんだ肌に絡みついた下着ごとズボンを引き摺り下ろす。布が擦れる刺激で御堂が声を上げて仰け反った。ぬるぬると滑る太股を抱えて、後ろの孔に指を押し当てる。

「こっちまで、垂れてきてますね。先走り」

「ああ、ああ。だから……早く…しろ……っ」

「……そんな。あとで泣いても、知りませんよ」

 余程焦れているのか、急かしてくる御堂を宥めながらゆっくりと指を差し込む。吸い付くように内側が蠢く。掻き回すように動かすと太股がびきと強張り膝から下がびくと跳ねた。

「ふ……あっ……いい……いい、……。も、……いいから、すぐ…挿れて、ほし……」

 うわごとのようにいい、と繰り返す。構わない、と言いたいのか、快楽を感じていることを訴えたいのか、多分両方。

「じゃあ、挿れます、よ」

 指を引き抜いて同じ場所に性器を押し当てる。先端がもう御堂のことを揶揄できないほどに濡れていた。先走りを擦り付けるようにすると、いやらしくひくついて、克哉はその動きに誘われるままに突き入れた。

「っ……あ、あぁ……あ……ん、ん…っ」

 根元まで嵌まったところで動きを止める。熱い粘膜の感触は何度味わっても、その度に新たな快感で克哉は満たされる。そして何度味わってもまだ足りないと思う。

 見下ろした御堂は身を捩り、甘い声と吐息をひっきりなしに漏らしている。シーツの上でのたうつ白い肌の上には汗の玉が浮かんでは流れてゆき、吸い付いて全て啜りとってしまいたい。俯いた自分の顎から滴った汗は御堂のそれと混ざっていった。

「はぁ…っ、……さえ……き……っ」

 じっと動かない克哉に痺れを切らしたか御堂は自ら腰を揺らめかす。動いてくれと同じ甘い声で強請ってくれれば幾らでも突いてあげるのに。言葉にはせずに意識して意地が悪い笑顔を向けると、克哉の意図を察したか、眉根を寄せて僅かに逡巡する様子を見せた後御堂の唇が開く。

「……う、ごいて……く……れ」

 望みが達せられ、返事の代わりに律動を開始した。揺さぶって、突き上げると、抽送のリズムに合わせて御堂の声が零れる。抱え上げていた脚が腰に纏わりついてそのまま引き寄せられるように体が傾いでいって胸が重なる。腹に当たるものに刺激が欲しかったのだろう。克哉は密着した体の隙間に手を入れて汗と体液に塗れたペニスを扱いてやる。

「こっちも、ほしかった、んです、ね」

「んん……あっ……あ…っあ……は」

 耳に吹き込んでやるとがくがくと頷き、御堂は喘ぐ。手の中のペニスは震えて張り詰めて、ここまでくれば後は絶頂を待つだけだ。

「……あ……あ……っく……う……」

 だが御堂は堪えるように歯を食いしばって、呻く。

「どうしたんです? イっていいんです、よ」

「……や、いや、だ……もっと……」

「たった一度で、終われる、わけないから、大丈夫……だ……っ」
 ここで我慢なんてしなくても、すぐに。

 克哉だけが知っている場所をめがけて幾度か突き上げると一際大きく体を震わせて、御堂は射精した。

「あ、……あっ…さえ、き………ああ……っ」

「……っく……み、どう……」

 びゅくびゅくと溢れる精液の熱と、いつもよりもずっと熱い内壁にきつく食い締められたせいで煽られたか、もう暫くは保つと感じていた克哉も御堂に僅かに遅れて達してしまう。

 ふうと、大きく息をつくと、あつい、と御堂の声が聞こえた。


「佐伯、離れろ。暑苦しい」

 御堂に圧し掛かったまま、克哉が荒い息を整えた頃、そう訴えられた。

「俺も暑いんですけど、離れがたくて」

「じゃあせめて冷房を入れろ」

「だめですよ。こんな汗かいてんのに。風邪ひきますよ」

「ならずっとこのままでいる気か」

「あー…そうですね。シャワー浴びてからならいいんじゃないか」

「だったら、さっさとシャワーを浴びさせろ」

「いやだ。こんな汗だくになったあんたなんて珍しいから」

「はあ?」

「暑いのは嫌いだが、こういうのもたまにはいい」

「……そうだな……一年ぐらい先だったら考えてやる」

「……じゃあ、来年は花火見ながらしましょうか」

「調子に乗るな、馬鹿」

 頭を緩くはたかれたが、それでも零れる笑いが抑えられなかった。

 夏は嫌いだ。花火なんてものもどうでもいい。

 だけど、来年もこの人と一緒なら、それでいい。

 




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