『お仕事ください!』  番外同人誌  総集編「アンダーグラウンド」の後日談ショート   -2014.1.17 up-
〜2014年1月大阪シティ会場で無料配布したショートペーパーより〜




*その後のアンダーグラウンド*

 上野公園の桜が散り、花見客の姿もすっかり影を潜めたころ、胃潰瘍で入院していた藤咲が退院した。
「ただいま戻りました〜。長らくご迷惑をおかけしてすみません。今日からまた、よろしくお願いします!」
 事務所に出社した藤咲がぺこりと頭を下げると、星野と中田は「いやったあぁ!」と大仰に万歳した。
「慎一さん、退院おめでとうございます! これで俺らにも、やっと平和な日々が訪れるっすよ〜」
「だなだな、若頭のケツキックからもおさらばでぇ!」
 藤咲が不在のあいだ、黒川の憂さ晴らしの標的となっていた元舎弟たちにとっては、喜びもひとしおだ。
「あの、たぶんそんなことだろうと思って。これ、つまらないものですが、お詫びの芋ようかんです」
 差し出された菓子折りに、ふたりは目が釘づけになる。
「うわっ、大虎屋のようかんだ。これ、超レアっすよ」
「なんでえ、ボウズのくせして生意気な。よし、アキ坊、芋ようかんさまを台所までお運びするだぁ!」
「了解っす!」
 菓子折りを頭の上に持ち上げ、ふたりは御輿を担ぐかのようにして、えっほえっほと奥の流しへ向かっていく。
 異様な盛り上がりを見せている男たちとは裏腹に、応接テーブルの上に足を投げ出した黒川は、いつもと
変わらず憮然とした態度で競馬新聞を広げていた。
 新聞に隠れてその表情は読めない。パラパラと乾いた紙をめくる音が止まったそのとき——。
「慎一」
 地を這うような、ドスのきいた声が響き渡った。
 中田たちは青ざめて、芋ようかんを高く上げたまま銅像のように固まったが、藤咲はふにゃりと頬を緩めた。
「なんですか、黒川さん」
「てめえ、俺さまに一言の挨拶もなしかよ。そんなに雑魚どもが可愛いか」
「あっ、いえ、競馬検討の邪魔しちゃ悪いと思って……」
 気遣いはあったものの、しばらくぶりに会う黒川を前に、嬉しすぎてどう接すればいいのか戸惑っていたのだ。
 テーブルに新聞を放り投げて、ソファから立ち上がった黒川は、冷ややかな目で藤咲を睥睨した。
「てめえ、どの面下げてのこのこ帰ってきやがった。てめえがいないあいだ、こっちは地獄を見たんだぞ」
「えっ、地獄……?」
 なんのことだろうかと、きょとんとして小首を傾げる。
「観光スポットでも行ってきたんですか」
「……」
 黒川は恨めしそうな顔で唇を引き結び、黙りを決め込んだまま答える気はないらしい。横目でちらりと中田
たちに探りを入れると、星野が言いにくそうに口を開いた。
「それが、こないだ上野に花見に行ったら——」
「若頭が火を噴いてずぶぬれだい」
「花見で……火?」
「てめえらは余計なことを言うんじゃねえ! あの衝撃は——地獄玉に当たったモンにしかわからねえ」
 物騒な言葉に藤咲はぎょっとした。
「じ……地獄玉って、まさか黒川さん、どこか撃たれたんですか!? だっ、誰に? もしかして大輔さんですか!?」
「まあ、大輔には会ったが——」
「な……なんてひどいことを! まだ黒川さんを逆恨みしてるんですね。それで撃たれた傷は大丈夫なんですか?」
「いや、だからな」
「ホッチキスで止めたとか言わないでしょうね!? 病院に行かないとだめです! 傷を見せてください!」
 心配のあまり取り乱した藤咲は、黒川の上着を開いて傷跡を調べようとしたが、突然、胸に抱きしめられた。
「……あっ」
「いいから、落ち着け」
 静かな声音で諭されて、男の腕の中で身を硬くする。
「安心しろ。誰にも撃たれてねえ」
 どうやら、また自分の勝手な早とちりだったようだ。ほっとした途端、緊張が解けて体から力が抜けた。
「……そうですよね、そんな簡単に黒川さんがヤられたりしないですよね。だって不死身ですから!」
 黒川は無言のまま、そうだと答えるかのように、さらに腕に力を込める。いっこうに藤咲を離す気配はない。
 黒川の逞しい胸に抱かれて、徐々に鼓動が速まってきた。喉の奥から熱いものが込み上げて自然と涙が滲んでくる。
「……黒川さん」
 耳元で聞こえる男の息づかい。語らずとも伝わる想い。
 黒川の『離したくない』という熱い気持ちが、全身から伝わってくる。これもまた自分の都合のいい解釈だろうか。
 一度も見舞いには来てくれず、優しい言葉をかけられることも少ないが、それでも藤咲はこの熱だけで充分だった。
「病院のベッドで、黒川さんの夢を見ました。夢の中でも僕は尻を蹴られたけど、ちっとも痛くなくて……」
 むしろ夢から覚めたときの喪失感のほうが、ひどく藤咲を苦しめた。黒川に会いたくてたまらなかった。
 恋こがれたこの男が幻想でないことを確かめたくて、藤咲は黒川の背中に腕を回して強く抱きついた。
「すごい……ホンモノの黒川さんだ」
「バカ野郎」
 熱い抱擁をかわす男たちの目を盗みながら、中田と星野は芋ようかんの包装紙をそっと破ろうとしていた。
 目の前の男しか見えていない藤咲は、周囲のことなどかまわず、甘えるようにして黒川の胸板に頬をすりつける。
「てめえ、鼻水つけてんじゃねえぞ」
「つけてません。そう思うなら、突き飛ばしてください」
「うっせえ、黙ってろ」
 よく——って……たな。
 耳元でかすかに聞こえた呟き。つけ足すように鼓膜を揺さぶった低音は、小さすぎて聞き取れなかったけれど。
 ——よく帰ぇってきたな。
 藤咲にはそう聞こえた。
「……はい」
 うなずきながら笑った頬に、涙が一筋こぼれ落ちる。甘い余韻に浸るのも束の間、やや強引に体を引き離された。
 黒川はばつが悪そうな顔で、藤咲の髪の毛をわしゃわしゃとかき荒らすと、「いつ見てもマヌケな面だな」と
言い捨てて、勢いよく背後を振り返った。
「おい、雑魚ども、なにしてやがる」
 今まさに蓋を開けようとしているふたりを、獲物を狙う野獣のような鋭い目で睨みつける。その直後、中田と
星野は黒川から強力なケツキックを連続して見舞われた。
 加減なしの尻蹴りに、「ひいっ!」と飛び上がる中田から、黒川は容赦なく菓子箱を奪い取り、藤咲に手渡した。
「伝票の版を組むから、終わったら茶をいれろ」
 そう言いながら背を向けて、作業所のドアを開ける。
「——あっ、はい!」
 端物の組版など今は中田の仕事なのに、黒川は作業場へと入ってしまう。どうやら体裁が悪くなったらしい。
「俺らの芋ようかん……」
 自分たちの口に入るかどうかわからない菓子箱を、中田と星野は未練がましく見ている。
 藤咲が「まだおあずけですよ」と笑顔で言い聞かせると、ふたりはがっくりと肩を落とした。思わず吹き出し
そうになるのを堪える。
「黒川さんのお仕事が終わったら、熱いお茶をいれてみんなで食べましょう。それまでの辛抱ですから」
 とりあえず冷蔵庫にしまっておこうと扉を開けると、
「んっ、あれ? これは——」
 冷蔵庫の棚にぎっしりと大量のプリンがつまっていた。
「どうしてこんなに……」
 焼きプリンやプッチンプリン。パフェっぽいものから、超特大プリンと、さまざまな種類のプリンで中が埋め
尽くされている。菓子箱を入れるスペースさえない。
「このプリンどうしたんですか?」
「あー、それ、若頭が毎日どこかで買ってくるんっすよ」
「黒川さんが?」
 星野の意外な返答に、藤咲は目をしばたたいた。
「そのわりには自分で一個も食べなくて、溜まるいっぽうすよ。賞味期限がヤバいのあるからこっそり食べ
ようとしたら、そりゃもう〜、激怒で」
「おいらはそれでも食ったけどな!」
 誇らしげに自慢する中田だが、よく見ると鼻の頭に絆創膏が貼られている。正拳突きを決められたのだろう。
 たしかに、外見に似合わず黒川は甘いものが好きだが、食べもしないプリンを大量買いする意図がわからない。
「花見に行った翌日からずっと買ってんすよ。地獄玉に当たった反動っすかねぇ。そういえばプリンを買って
きては、慎一さんのパネルを意味ありげな顔で見てたすね」
「パネル?」
「あれっすよ」
 星野が指差したのは、応接セットの傍らに置かれた、藤咲の等身大パネルだった。名刺を手にしたとぼけた
顔には、黒のマジックで髭が落書きされている。
「ちょっと……、な、なんですか、あれ」
「慎一さんがいないあいだに、いろいろあったんすよ〜」
「だなぁ、アキ坊」
 ふたりは顔を見合わせて、互いに大きくうなずき合う。
 まったく事情が飲み込めない藤咲ではあるが、入院しているあいだに、想像もつかないことが起きたのだろう。
 それにしても、あのパネルとプリンの関係性は?
 まさかとは思うが——。
 黒川は自分のために、大量のプリンを買い置きしてくれたのだろうか。留守録で夕飯のプリンのことを嬉し
そうに話したから。喜ばせようとしてこんなにたくさん——。
「……黒川さん」
 胸の奥に甘く温かいものが広がっていくのを感じた。  我知らず、笑いがこぼれる。
 おそらく本人に尋ねれば、『てめえらに見せつけて食うために、わざわざ取っておいたんだ』などと、お決まり
の悪態をつくに違いない。それでもいい。
 乱暴で不器用だけれど、とても優しい男。
 いつもと変わらない平凡な日常こそが一番の特効薬。
 冷蔵庫の中にプリンが入っている、という些細な楽しみ。
 それだけで藤咲は幸せだった。


 -おしまい-





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