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以下、お礼小話です。




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 とある冒険者と道具屋の話


 小瓶の整列を終えた後、今度は大瓶に手を伸ばす。カウンターの奥にある作業用の机に取り出した薬草を並べて乾燥の準備をしているところで、出入り口の扉に取り付けていた鈴がからから鳴った。
 客の来店に手を止め振り返ったシルクは、その姿を認め、一瞬、紫水晶のような目を細める。相手に気がつかれないうちに小さく瞬き口を開いた。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは」

 片手を上げてさわやかに笑顔を見せたのは、冒険者のルードだ。半年ほど前から二日とおかずにこの道具店に顔を出している常連である。とはいえ、今回は実に一ヶ月ぶりの来店だった。
 魔物の討伐や護衛の仕事を主に行う身体資本の冒険者たちは、鍛え抜かれた筋肉隆々な肉体を持ち、装備品も実用性の高いものを使用する。長期的な旅路につくことも珍しくなく、そのため身なりを気にしない者が多い。初めは気にしていても、結局魔物との戦闘やら旅やらで身を清める機会が減り、気にしなくなるのだ。
 その中でルードは冒険者にしてはやや伸びがちな黒髪を軽く後ろに流し身きれいに整え、髭もしっかりと剃っている。すっと通った鼻梁の顔立ちも小綺麗で、荒れくれ者に見間違えてしまうこともある冒険者の中では珍しい清涼感ある存在だった。
 一見、冒険者らしくないルードはその雰囲気も戦いに身を置いている者ながらに柔和で、人当たりもよい温厚な人物だ。性格も顔もよく、さらには優男の容姿に反して冒険者の中でもトップクラスの実力を持ち前線で戦う実力のある強者でもある彼は、町を歩けばすぐ女性に囲まれる色男である。そんな世界的にも有名な冒険者であるルードは、女性に事欠かないというのに、彼女らの誘いをすべて断りこの店に通うのだから、一流の考えることはよくわからないものだ。
 客が来ても店の奥から出ていこうとしないシルクを咎めないかわりに、ルードはカウンターに肘をついて薬草の手入れをする姿を眺める。
 なま暖かい眼差しの口元に浮かんでいる小さな笑みは居心地が悪く、シルクは仕方なく手を止め振り返った。

「なにかご用ですか」
「あ、作業終わった?」
「ご用がないのでしたら、どうぞお帰りください。見ての通り終わってはいません」

 机に薬草をただ広げただけの様子をあえて見せつける。この後ひとつひとつ状態を確認した後、外で陰干しする。ルードはこれまでにもシルクの作業を見ていたので、流れを知らないわけでもない。それが終わっても客足がないようであれば調薬するし、商品の補充や店の清掃など、やることはいくらでもある。シルク一人で店を切り盛りしているため、客足があるないに関わらず暇などないのだ。

「ああ、ごめんごめん。集中しているところ悪いと思ったんだけど、かえって邪魔しちゃったね。一区切りついたのなら、ちょっといい?」
「なんでしょう」
「これを。シルクにあげようと思って」

 ルードは腰に携えた小型の鞄から包みを取り出した。
 片手に乗る程度の大きさではあるが、中指くらいの厚さがあるそれを開くと、中に入っていたのは、腰痛の塗布薬のもとになる薬草の束だった。

「近々必要になると思ってね」

 確かにその通りだ。いつも腰痛の薬を買っていく老人が以前に来店した際、シルクの薬がよく効くから友人にも紹介したいとその人が言ったから、在庫を補充しておくと伝えた。そのときに店に来ていたルードは話を聞いていたのだろう。だが彼に向けての言葉ではないし、薬草はいつも自分で採取するか冒険者ギルドに収集の依頼をしているのだ。そのことはもちろん、ルードも知っていることのはずである。

「――代金をお支払いします。ギルド規定の金額でよろしいですね」

 ルードからすれば初心者冒険者でも請け負える初級の採取依頼の報酬など端金であるだろうし、大した労働でもないのだろうが、それでも支払わなければと思う気持ちは揺るがない。しかしこれがかの有名な呼雷のルードの二つ名がある男の雇い賃金となったら、とてもではないがしがない町の道具屋に支払える額ではないので、先手を打って伝える。それならば、もとはギルドに依頼するつもりだったのだから損はないし、ギルドへの手数料にとられずそのまま全額渡せるので、ほんの少しはルードにも得がある。

「おれからの贈りものだよ。お代なんていらないって」

 金を取りにいこうとするシルクにルードは苦笑しながら引き留めようとする。その顔を一瞥しただけで、シルクは足を止めなかった。
 すぐに戻って、ギルドに採取を依頼した際にかかる費用と同額を差し出す。ルードは受け取らず、小さく息をつく。

「なんでそんなお堅いかな。シルクらしいけれども、おれの好意なんだから素直に受け取ってくれない?」
「ただより恐ろしいものはないと、素直に思ったまでのことですよ」

 お金を差し出したままのシルクの手に、そっとルードの手が重なる。指先から肌をすべり、手首の付け根を親指が撫でたときに思わずぴくりと身体が動いてしまった。
 ルードは目を細めて、二人の手に視線を落としたシルクの顔を下からのぞき込む。

「ただとは言っていないよ。下心はあるからね。あなたにとって利益を生む人間だって思ってもらえればそれでいいさ」
「っ……」

 新緑のような生命力ある瞳に見つめられ、シルクは息をのむ。
 普段はからかってきてばかりのへらへらとしているルードだが、ふとした瞬間にシルクへ向ける欲をむき出しにする。そうなると、店と薬のことにばかり打ち込んできてろくな恋愛などしてこなかったシルクは、どうすればいいかわからなくなってしまう。
 回りくどい駆け引きなどなく、明け透けにまっすぐな言葉は鈍いシルクであっても気づかずにはいられない。それを軽くかわすには経験が足りないし、なにより彼が本気で口説こうとしてきているのかがわからないから対応に困るのだ。好きだと言ってくれるが、シルクはルードよりも年上であるし、なにより男だ。とてもではないが信じられない。
 冗談に付きあってやることはない。シルクの反応をからかいたいだけならはっきりと迷惑だと言ってやれる。――だがもし、本心からの言葉であったら? どう応えるにせよ、真摯な彼の想いに自分もそれなりに向き合わなければならないのではないか。
 瞳から逃れることもできず、どうすればよいかもわからず硬直するシルクに、ルードはふっと眼差しを和らげた。

「それでも、って言うなら――」

 顔を起こしたルードを追いかけ目線を上げたシルクに、遠くにいったと思ったはずの新緑の瞳が迫る。咄嗟に後ろに逃げようとした頭を押さえられ、唇が重なった。
 ちゅ、と小さく音を残し、すぐにルードは身体ごと離れていく。

「今回のお代はこれってことで」

 薄い唇をゆるめ微笑むルードを見ていられず、口元を手の甲で押さえてあからさまに視線を逸らした。

「……そんな、価値があるものでは」
「価値はおれが決めるんだよ。むしろおつりが出るくらいだから、これもあげるよ」

 いつの間に取り出したのか、なにかが机に置かれる。ぽんと簡単に出されたのでうっかり反応が遅れたが、それがとある魔獣の角であると気がつき、さすがのシルクも目を剥いた。

「これは……」

 はじまりの町、とも呼ばれる冒険初心者が集うこの町の近辺に出没するような弱い魔獣から採取できるものではない代物だった。なにせ現在もなお開拓中の新大陸に現れるとても強い魔獣のものであり、この角ひとつの価値で、先ほどの薬草が百回以上依頼できる。
 どう安く見積もろうとも、おつりと称しもらうようなものでは到底ないし、ましてやキスのひとつでもらえるものなどではない。
 なにより、これは――。
 シルクの思考を遮るように、来店を告げる扉の鈴がからから鳴った。

「あ、お客さんが来たみたい。それじゃまたね、シルク」
「ちょ、ルードさんっ」

 咄嗟に伸ばした手はなにも引き留められぬまま、ルードはひらひら手を振り店から出ていく。 
 ルードと入れ違いで入ってきた常連の少女は、だらりと腕を下げたシルクを見て幼い顔を気遣わしげに染めて声をかけてきた。

「てんちょ、だいじょうぶ? おかお、まっかだよ」
「大丈夫です。少し、驚いただけで……。すみません、少し落ち着くまで待っていていただけますか?」
「……うん! おみせのなか、みてるね!」

 気心の知れた少女は素直に頷くと、カウンターから離れて陳列棚を眺める。その様子に安堵しながら、シルクはずるずるとその場にしゃがみ込んだ。カウンターの影に隠れて、両手で顔を隠す。その下は指摘された通りゆでたこのように真っ赤になっていて、ひどく手のひらが熱く感じる。
 いつからこうだっただろうか。せめて、ルードが去るまではいつもの自分であったのだと信じたい。
 鉄仮面と揶揄されることもあるシルクとて、ルードからの――想い人からの不意打ちの口づけにまで動揺しないでいられるわけがないのだ。それも、初めてことであればなおのこと。
 初めて出会ったときに、シルクは薬草採取に出た森の中で魔獣に襲われ命の危機にあったところを、通りすがったルードが助けてくれた。それは見事な身のこなしで、あっと言う間に魔獣をのしてしまう強さに目を奪われたものだ。
 ルードはとても親切で、足をくじいたシルクを店まで負ぶってくれた。そのときにまさか彼から一目惚れだと告白を受けるとは夢にも思わなかったし、そのときには冗談はよしてくれと一蹴したものだ。三十三歳にもなって恋愛経験のないような冴えない男をルードのような美丈夫が相手にすると誰が思おうか。しかしルードは諦めず、足繁く店に通っては屈託なく笑いかけてくれた。
 他の冒険者のように下品なからかいもしてこない。商売人を見下すことも、その強さを鼻にかけ驕ることもなく対等に接してくれた。そんな彼との会話は楽しかった。店と薬のことばかりの自分でも相手にしてくれるし、冒険者としての彼の目線は参考になる。そして彼の旅の話を聞くが好きだった。
 そんなルードに、今ではすっかりほだされている自分がいる。それは逃れようのない事実で、それを悟られないために必死になって興味のないふりをしているが、内心は彼の一挙手一投足に掻き乱される日々である。
 彼は贈り物と称してよくものを渡してくるのだが、初めの頃はそれこそ一般的な贈り物である花などであったのだ。それを結局は対価を払い受け取るシルクだが、そのときの様子を見て少しずつ物を変えていき、今ではシルクが欲する実用的なものばかりになった。
 サイトニカルと呼ばれる魔獣の角は、彼と出会ったあの日、負ぶわれているときに少しだけ話したことがある。まだルードが一流の冒険者だと知らなかった当時、あなたなら新大陸にも渡ることになるだろうとシルクは言った。そしてそこに住まう、病の薬となるサイトニカルの角を入手することが夢なのだとも話した。
 彼は、それを覚えていたのだろう。前回の来店から一ヶ月間が空いたのは、おそらく新大陸にいたからだ。
 もちろんシルクのためだけに行ってきた、などと自惚れるつもりはない。だが凶悪な魔獣の角を入手しただけでもとてつもないことだ。もし仮にこれがルードからシルクへの好意の現れだとしたら。いくらルードが強い冒険者といえども新大陸では油断する余裕はない。それだけの危険を冒すのだから、よほど深いものだと言えるだろう。

「てんちょ、だいじょうぶそう?」
「もうちょっと、お待ちください……」
「はあい」

 いつまでも商売をほったらかしにしておけない。そう気合いを入れるも、唇の感触を思い出して振り出しに戻ってしまう。
 常に前線で戦ってきた勘も観察眼も鋭い男の目を、本当に欺けているのだろうか。この虚勢は実はとっくにばれているのではないだろうかと、いつも気が気でない。
 もし本当に、彼が本気なら。冗談でなくシルクを好いているのだとしたら。

「どうしよう……」

 シルクのつぶやきが聞こえたのか、再び少女の声がかかる。

「てんちょ、やっぱりぐあい、わるい? おかあさんよぶ?」
「い、いえ……あと、あともうすこしだけ……」

 心配する少女に申し訳なく思いながらも、まだ顔は上げられそうにない。
 高価な角にいくらなんでもなにもお礼をしないわけにいかない。そう考えてしまう生真面目なシルクの性分をルードは初めから利用する気だろう。わかっているのに、勝手に押しつけられただけなのに、このままにしておけない。
 薬草の対価としてキスをされ、そのおつりにと魔獣の角を受け取って。果たしてそのお礼は、いったいどれだけの価値のものを差し出すべきだろうか。
 きっと、こうしてシルクが悩んでいる間にも、ルードは涼しい顔をしているのだろう。そう思うと、少しだけ彼が憎らしく思える。その余裕を少しでもわけでもわけてもらいたものだ。
 実際は、店を出たルードもまた赤くなった顔を仲間にからかわれていることなどつゆ知らず、シルクはいよいよ母に助けを請おうと店を飛び出した少女を慌てて追いかけた。


 おしまい





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