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(あべ先生と生徒みはし 16)
もう「先生」じゃねェだろが、そう言うと、目の前の猫っ毛は眉を寄せてうなりだした。
五月。中間考査はあるにしろ、GW後のこの時期は一旦諸々が落ち着く頃合いだ。
最後のイキヌキとなだめすかして出かけたのが九月。その後、個人的に会うことはなくなった。休日はもちろん、放課後も予備校や補習。同じようにこっちも受験準備に必死だった。そうして、こいつがぐしゃぐしゃの泣き声で電話してきたのが春のはじまりの時期。合格しました、その声で体じゅうの力が抜けたのを覚えている。「合格おめでとう」、震える声に気づかれないよう伝えると、ちゃんと、オヤの次にデンワしました、と一言加えてきた。明日担任に報告すること、それから気をつけて帰れよ、冷静を装って電話を切った後、誰もいない数学準備室でひとり喜びをかみしめた。教え子の合格は誰だって嬉しいものだと思う。それでも、三橋のそれは特別だった。
そこからも目の回る忙しさで年度末をやり過ごし、年度始めの繁忙期を乗り越えて、今に至る。三橋も入学式を終え、晴れて大学生になった。
「大学生活はどうよ?」
「あ、えと、た、タノシイ、です」
「どんなことやってんの」
「えーと、今は必修、で、あと、ゼミの見学も行った」
「サークルの勧誘すげェだろ」
「うん、知らないひとから、すごい、話しかけられる」
「半分は聞き流しときゃいんだよ」
「でも、何か、悪い」
「お前ンなことやってっといつの間にか色んなサークルに入会させられてっからな」
「うええ、」
三橋は指折り数えるように大学のことを話し出す。先生、じゃなくて教官、がね、何棟っていうのがあって、学食ってあんなに安いの、スゴイね、それにひとつひとつ返事をすれば嬉しそうにわらう。行きたかった大学だもんなァ、そう言って頭をわしゃわしゃと撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。
……あんまユダンした顔すんなよなァ。
ここがどこだか分かってンのか。喉まで出かかったことばを飲み込む。四月、入学後すぐに会った時に、三橋はどこかに行くというより、オレともっと話がしたそうだった。きっとためこんでいたものがたんまりあるんだろうと思い、それなら家でゆっくり過ごそう、ということになったのだった。
ゆっくり過ごせる余裕が自分にあるかないかは、別問題だった。
「い、家」
「……そう、家」
「せんせい、の」
「もう先生じゃねェだろ」
「……せ、んせいは、ずっと、先生」
「ずっと?」
「…………」
そりゃ始まりがああだったし、そもそもついひと月前まで教師と生徒だったし、切り替えろという方が無理な話なのかもしれない。でも、これでやっと、後ろめたさがひとつ消えたような気がしていた。もう、何の肩書もない、ただのこいびと同士なのだと、言っていい気がしていた。ただ、それを三橋に押しつけたくはなかった。向こうが先生と呼びたいならそれでよかったし、たぶんその方がお互いに気楽だ。……万が一そういうことになった時にも、「先生」呼びはどうなんだとは思ったが。
日曜、待ち合わせの最寄り駅に立った三橋は全身で緊張してます、と言っていて、思わず笑ってしまった。「先生だってカオかたい、」そう言われるまでこっちも緊張していることに気づいていなかった。駅前で昼食をとり、人通りの少ない路地に入って、どちらともなく手をつないだ。三橋の手の温度を思い出す。指同士で追いかけ合ったり絡めたり、最後には行進のようにぶんぶん振り上げて歩いた。
三橋の大学の話がひとしきり終わった後、冷蔵庫から箱を取ってくる。中にはギリギリまで詰め込まれたケーキが数種類。あまり好き嫌いを聞かない猫っ毛対策に、去年から始めた数撃ちゃ作戦だった。
「わ、わあ、こんな、たくさん?」
「ケーキならどれもすきっつーからとりあえず買い込んだぞ」
「うん、全部、すきです、食べたい!」
「……誕生日、おめでとう」
「え、あ、えっ、」
ケーキ、そーゆー、ケーキ? 相変わらず下手くそな日本語だな。そーゆーケーキだよ、まずは定番のショートケーキを皿に載せて、1と8のロウソクをさして火をつける。本来の誕生日は明日だが、こっちは仕事、三橋だって授業だ。夜に出歩かせるわけにもいかない。元より一日早い誕生日会にするつもりだった。
歌ってくれないんですか、とのリクエストは丁重にお断りさせていただいた。すこし不満げに、でも結局は嬉しそうにケーキの写真を撮って頬張る姿は小さな子どものようだった。……言ったら怒るから、ゼッテー言わねェけど。
「そうだ、この時計、いいねって言われたんだよ、」
「そりゃオレが選んだんだからな」
「ふ、自分で、言うのか」
去年の誕生日、プレゼントという名目でお揃いで持ち始めた腕時計。オレが黒で三橋が白。校内でもし何かあってもいけないから予備校で使う、と言っていたが、大学では普通に使ってくれているようで、思わずニヤついてしまう。
手を取って、近づいて、キスをした。甘い生クリームの味と、それから、もっと甘い、三橋の味。
「ン、ね、せんせ、」
「……三橋、」
「うひえ、」
相変わらず色気のねェ声だ。お前それどっから出てンだよ。構わずキスを続けて、抵抗がなくなったところで思いっきり抱きしめる。
三橋の熱と、においだ。もう何度も触れているのに、触れる度にのめりこんでゆきそうだった。耳まで赤くして肩で息をして、息がくるしそうで、そんなことは分かってて、それでも離したくねェとは困ったモンだ。自分が単純すぎて嫌になる。
「せんせ、あの、」
「……何、」
「ちょ、ちょっとだけ、顔、見せて、」
ふうふう、という息の合間に三橋が訴えてきた。すこし腕の力をゆるめて、顔を突き合わせる。三橋は一瞬目線を下にやり、その後、こっちを見すえてきた。
まん丸ですこし色素がうすくて、泣いたらこぼれそうな目。その目がすきだ、とぼんやり思う。
「つ、」
「つ?」
「あ、違う、」
「はあ?」
「あの、あの、」
もごもごと口ごもる猫っ毛にもっかいキスしてやろうかと顔を近づけた瞬間、だった。
すきです。
オレ、と、付き合って、ください。
思わず目を見開く。
…………オレら、付き合って、なかったのか?
いやそれはない、じゃあ何で今、そんなことを言う?
オレの怪訝な顔に目の前の三橋は「あ、説明、する、します」と慌て出した。
「オレ、オレね、ずっと、ワルイコト、してるって、思ってた」
「うん」
「せ、んせいと、生徒、だから、」
「……うん、」
「でも、この間、先生も、もう先生じゃないって、言ったから」
「だから?」
「だから、もっかい、今度は、オレから言うんだ、って、おも、っ」
ぼろぼろ、音がしそうなぐらい大粒のなみだが落ちる。また泣かせた、ごめんも言えないまま抱きしめると、三橋は本格的に泣き始めた。せんせ、すき、すきです、譫言のように繰り返す三橋に、オレもすきだよ、と繰り返す。
三橋がすきだ。その気持ちひとつしかないと思っていた。間違った始まりだと思っていた。やっと、後ろめたさが消えた気がしていた。でもそれはオレだけの話じゃなくて、三橋のなかにも同じようにあったんだろう。分かっていた。分かっていた、つもりだったんだろう。いつもこうやって、こいつにぶん殴られるように気づかされるんだ。
はあ、とため息をつくと三橋の肩がびくついた。
「や、ごめん、今のは自分に対して」
「……?」
「オレ、お前ンこと全然考えられてなかったから」
「だって、ケーキ、」
「ああいやそういうことじゃなくて」
「? わかん、ない」
分かんなくていいよ、と思う。分かるように、今までの分も、これから時間かけて、返してくから。
何度も何度も、ワルイコトじゃないって、大丈夫だって、ふたりでいることを、当たり前にしてゆくから。
「……なあ、」
「はい、」
「返事、していい?」
「あ、わ、はい、して、いいです」
「お前さあ、敬語やめろってもう」
「じゃ、じゃあ、あの、返事、して」
「……よろしくお願いします」
「!」
ぱっと顔を上げた三橋が泣きながら「ふはあ、」と笑った。いやここで断んねェだろとか、きっとこいつにとってそういうことは関係ないのだ。
改めて、晴れて、今度こそ、オレ達はオツキアイすることになったらしい。
「ふ、今日、記念日、だ」
「じゃあ記念日っつーことで、これからの話でもすっか」
「これから?」
「そう、これから、」
三橋はすこし考えて、あ、と思いついた顔をした。
「……夕飯、の話?」
ちげェよばか、もっとずっと、先のことだよ。
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