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顔の崩れた四つ足の化け物がうろつくエリアにジョセフが落としてきた眼鏡を、
俺はやっとの思いで拾ってきた。
死ぬ思いをしたが仕方がない。この極限状態で視力が奪われるなんて、
それこそジョセフの生き残る可能性が低くなってしまう。
相棒に死んでほしくない、というのは当然の話だが、これから先、
俺が生き残りたいという意味でも、ジョセフには生きてもらわないと困るのだ。
この地獄を一人で乗り切れるなんて甘いことは、さすがに思っていない。
さっきジョセフにも伝えたが、パートナーが必要なのは本心だ。
息を切らせながら、俺は手の中の眼鏡をジョセフに差し出す。
ジョセフは浅く俯いたまま、眼鏡を手に取った。
「すみません。別に見えないってだけじゃないんです」
そう言って一旦言葉を切り、顔を上げないままでポツンと付け加える。
「……何故か落ち着くんです」
レンズに付着していた土埃を軽く息を吹きかけることで払い、
ジョセフは眼鏡かけた。顔を上げたその表情は、至って見慣れたもので、
俺は密かにほっとする。
「……気にするな。キッドを捜すことに集中しよう」
俺の言葉に、ジョセフはコクリと頷いた。

「…………」
銃の確認をしたり服の埃を払ったりして、俺はジョセフの次の言葉を待つ。
しかし、ジョセフは口を噤んだまま、俺が目の前の教会へ向かうのを
ただ待っている。
それでも俺は、最終的には手持ち無沙汰にぼんやりと立ち尽くしている形に
なってしまっても、ジョセフを待ち続ける。だがジョセフも、俺に向ける表情を
怪訝なものに変化させながらも黙ったままでいた。
空気が徐々に重苦しく変化する。それは、俺達を取り巻くこの環境の不穏さが
起こしていることではない。確実に俺達二人がこの雰囲気を作り出している。
「あの……」
沈黙を破ったのはジョセフの方だった。やっとか……と思いながらも、
俺はジョセフの顔を真っ直ぐに見た。
「行かないんですか?」
「行くよ」
教会のことを言っているのは分かったので、俺は短く肯定する。しかし、俺は
一歩を踏み出すことはない。
「それなら……」
ジョセフがどことなく促すような言葉を口にする。自分の準備は
整っているということだろう。俺だって、すぐに動くことは出来る。だけれども、
俺はやはりこのまま引き下がることが出来ない。……出来ないのだ。
ジョセフの眼鏡の向こう側に位置する瞳に、疑問の色が浮かんでいる。
いや、そんな顔をしたいのはこちらの方だ。だって、まだ貰っていない。
……焦らしているのか? 何の為に?
「お前、その前に……あるだろう?」
「……はい?」
とうとう焦れてこちらから誘導してみるが、ジョセフは首を傾げてしまう。
本気で分かっていないようで、俺は大きく目を見開く。そして苛立ちのままに
それを口にした。
「だから……さっきのことに、一言……」
「え……?」
ジョセフはきょとんとした顔をしている。埒が明かない。
俺はここまでは言いたくなかったが、仕方なく口を開く。
「……俺は、眼鏡を拾ってきてやっただろうが」
「あぁ……」
ジョセフは片手で眼鏡のフレームに触れながら、小さく頷く。
「すみません。お手間かけました」
「だから、そっちじゃなくて……」
「え? そっち、とは……」
俺は眉間に皺を寄せながら、どこか戸惑いを見せるジョセフに一歩近づいた。
「俺は、あの化け物に殺されそうになった」
歪んだ門の格子の向こう側に見えるぐったりと地に身体を伏した
大きな毛玉を指さして、俺は口火を切った。
「そして、お前が眼鏡を落としてきたから、もう一度そんな目に遭った」
「えぇ。あんな状況でミスをしたのは、申し訳なかったと反省しています。
御迷惑をおかけしました。本当にすみませ……」
「だから、違う!」
俺はそう言って、ジョセフの言葉を遮った。
ここまで説明してやってるのに、まだ俺の欲しい言葉を察せない相棒に、
俺は怒りさえ覚える。
こいつは本当に鈍い。……いや、振れ幅がでかいんだ。一緒に仕事をしていて、
よく気のつくところもあるのは知っている。しかし、肝心な時に
さっぱり要領を得ないのは如何なものか。
俺は最後の僅かな希望に縋り、ありったけの思いを視線に込めて
ジョセフを見つめてみる。だがジョセフはたじろぐように、一歩後ろに下がって
俺から気まずそうに視線を逸らす。
まるで通わっていない……。
このまま、もういいと引き下がることは出来る。しかし、みっともなく答えを欲しがる
発言はもうしてしまった。それならば、いっそ全てを言葉にしてしまったところで、
もう見苦しい度合いとしては変わらないのではないか?
勝手ながら、俺はジョセフに対する失望も感じつつ、覚悟を決める。
そして放り投げるように、わざと雑に言葉を口にした。
「……『ありがとう』は?」
「え……?」
俺の呟きにも似た音量に、ジョセフは数度瞬きをする。
「あっ……あー……あ、はい……」
やっと理解したのだろう。ジョセフは呟きながら、コクコクと小さく頷く。
そして、ムスリとした表情を浮かべた俺の顔に、視線を合わせて口を開いた。
「ありがとうございました。……眼鏡、拾ってきて頂いて」
「ん……」
強請ったどころか、ほぼ強要して奪い取った言葉。その割には、それは素直に
俺の胸に温かく浸み込んでいく。あまりに単純な話で恥ずかしくなるが、
ジョセフの『ありがとう』の温度は俺の中に引っかかりを一瞬ですっかり溶かしてしまった。
俺は当初の目的を果たす為に、黙って教会に歩を進めた。背後から早い足音がする。
ジョセフはついて来ているようだ。
「セブ……本当にありがとうございました」
「あぁ……」
「その、わたし……心から感謝していますよ」
「ん……」
横に並んで歩くジョセフが、俺の顔をチラチラと覗き込みながら尚も言葉を紡いでいる。
「あの……」
言いながらジョセフは俺のシャツを軽く引いた。俺は反射的にジョセフの方向に視線を向ける。
ジョセフは俺の腕にぐっと自分の身体を密着させて背伸びをしながら、
内緒話でもするかのように俺の耳元に唇を寄せた。
「……大好きです」
……それは言い過ぎだ。
耳に触れた吐息をくすぐったく感じながら、
ジョセフのこういうところは、昔から理解出来ないと思った。

(了)


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