拍手御礼SS I need...
どうすれば、あなたを苦しみから解放できる――?
どうすれば、あなたは幸福に包まれる――?
どうすれば……
きっと、きっと、ね。
それは……傍に、いればこそ――
I need...
二人だけの旅。
逃亡という名の、当て処ない道行き。
それでも、辛くはなかった。
傍に、彼がいる。
それだけで、幸福だった。
草の上、土の上。
こぼれんばかりに拡がる星空を見つめながら、眠りに就く夜であっても、
道中、やっとありつけた宿が粗末な安宿であっても、
彼と共にいられる――
ずっと、好きでいていい。
その手を取っていい。
そう思うだけで、心が高揚した。
その晩。
泊まった町の宿は折悪く一杯で。
辛うじて空いていた部屋は、一人部屋。
寝台を使えと彼に言われたけれど、半分こで使おうとあたしは言った。
端に詰めたら大丈夫だもん。
微笑うあたしに、イザークは苦笑いして。
先に休んでいろと額に手が添えられる。
仕事の件で宿の主人と話がある、そう言われた。
明日の朝この町から出立する隊商の長へ、口利きをしてくれると。
仕事は警備、……それから、雑用。
この町で積まれた荷が、国境寄りの町まで運ばれる。
頷いて、念を押した。
「床はダメだからね、ちゃんと寝台で」
前にもこんな一人部屋の時があって……
あたしに寝台を宛がうと、彼は部屋の端の長椅子をさっさと寝台代わりにした。
長椅子のある宿ならまだいい。
ここには代わりにできそうな椅子はない。
黙っていたら、床に寝られてしまいそうで。
そんなのは、厭だから……ね?
彼は微かに笑い、それから、頷いた。
彼は、いない――
戻るまで待っていようと思ったのに、それを嗤うかのように訪れた睡魔。
夕暮れの空が闇に変わりゆくように包まれる。
夢は、程なく訪れた。
黒い世界がそこに拡がる。
静寂が全てのものを呑み込んで、呑み込んで、
そして、時を止める。
動けないあたしがそこにいる。
静かな所は嫌いじゃない。だけど、ここは闇があるばかり。
遙かな彼方。気が遠くなりそうなほど遠い遠いそこに、本当に小さな光が微かに煌めいていた。
そこに行けば、なんとかなるような気がした――
なのに――行きたいのに、足が動かない。
絶望を思わせるほど、遠いその場所。
腕を伸ばそうとして、もどかしいほど意のままにならない自身に愕然とした。
自分の身体の筈なのに、どうして。
そして、ああ――
どうしてここは、こんなにも、寒いのだろう……
慣れてきた目に入る光景は、人のない、荒涼とした地。
岩地のような冷たい大地。
肌を掠める風は、とても冷たく、
足元の草までもが、黒く靡いた。
さらさらと所々を砂が舞う。
その砂も、周りとの判別が難しいほど、黒い……
なのに、風と足に当たる粒子の感触で、そうとわかる。
誰もない。生けるモノの気配がない。
吹く風の音がしない。草の擦れ合う音さえも。
「――――」
声を挙げて、呼んだ。――その筈なのに、音がない。
その名を呼べば、幸福感に包まれた。
なのに、大きく口を開けて叫んでも、音にならなかった。
その名が出てこない。
誰……その存在は誰だった――?
震える身体を抱きしめる。カタカタと歯が震え、寒さとは別の言いようのない悪寒が凌駕する。
いつも……傍にいる筈のその存在が、ない。
「……―――!」
名を呼べば、幸福に包まれた。
そして、彼があたしの名を呼ぶその声に、ほっと心が安らいだのだ。
あの笑顔。あの人に。
呼んで。あたしの名を呼んで。
あたしを見つけて。
お願い――…
ぎゅっと瞑っていた目が開く。
静寂の中、暫く何もできないまま、ただ自分の荒い呼吸音だけが全てで。
どれくらい時が過ぎたのだろう。
部屋にその人はなく、寝台のあたしの隣の部分も使われた跡がない。
まだ、戻っていないのだ。
戻って……いない――?
窓の外から微かに射し込む白い光。
鳥の囀りが、聞こえる。
身を起こして、ふと寒さを覚えて身震いする。
掛け布を手繰り、自分を包んで、身の前でぐっと布を絡めた手を握る。
話、終わったんじゃなかったのかな……
床に足を降ろすと、じかに冷たさが伝わり、心の中に湧いた不安を助長する。
包まったまま窓に近寄り、カーテンの布を脇に寄せた。
窓の外の世界は、朝靄で僅かにまだ霞んでいて。
静かであるのが、どうしてか今日は酷く心細い。
不意に後ろを振り返り、彼の荷物がそこにないことに気付く。
「え……」
イザー…ク――?
殺風景な部屋に、声が消える。
何処――?
急に、温度が下がる気がした。
古めかしい木の扉、所々薄汚れた漆喰の壁。
確かに昨夜泊まった部屋の筈。なのに、まるで別な空間に思えた……
何故だろう、この世に自分独りだけ残されたかのような……
戻って、寝台に再び上がった。
妙な思いが掠める。
――全てが……夢……
もしも、あの人がいないのだとしたら。
本当は、全てが幻だったとしたら。
不意に生じたそれが、途方もなく重くのしかかって、鼓動の早鐘が鎮まらない。
布でまた、ぎゅっと自身を包む。
――あの夢。闇。
行きたくとも行けない光の彼方。
そして、そして……
名を思い出せなかった。
本当は……
本当はイザークは何処にも……
どうすれば、あなたを苦しみから解放できる――?
どうすれば、あなたは幸福に包まれる――?
運命を変える方法。
捜していた、二人で。ずっと二人で。今まで。
ああ――だめだよ……
あたしにも、あの人なしには考えられない。
全てが夢、そんな可能性なんて考えたくない。
あなたがいないなんて、信じたくないよ。
膝を抱えてうずくまる。
震える身体を宥めるように、ぐっとまた抱きしめた。
冷静になれ。思い出せ。
彼の声は。仕草は。温もりは。
あたしの名を呼ぶ彼の声は、落ち着いた低い声で、とても優しくて、
泣きたくなるほど、幸福になれて――
「……あ……」
頬を伝うそれが、空気に触れて冷たく変わる。
留まることなく生まれる温かな雫。睫を、頬を、そして触れた指先を、濡らす。
どうして、こんなにも大切なのだろう。
どうして、こんなに、心を占める。
心の中に住んでいる人は、あの人しかいない。
他の全てのものと引き換えにしてもいい。
愛しているよ。愛しているの。
こんなにも……こんなにも……
嘘じゃない。
夢じゃ、ない。
ギ……と、扉の開く音。
僅かに空気の流れる気配。
こんなにも、心の中をその人が占める。
ゆっくりと、顔を上げた。
目の前にその人がいるのが、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
「――どうした?」
あたしが情けない顔をしていたから。
彼は心配そうに眉を顰めて――
目の端から頬に伝い降りた雫をそっと拭うように、指を添えて。
ああ。
目の端に、頬に、優しく触れる彼の指。
心が落ち着いていく。
彼の指先が、顎に添う。
見上げるように、顔を上げた。
なんでもないの――と微笑みを浮かべる。
なんでもない、なんでもないの。
だって、こうして逢えたことが嬉しいから。
夢でなかったのだって、わかるから。
「ちょっと夢を……それだけ……」
そう、ちょっとだけ恐い夢。
もしも、全てが夢だったらという、恐い徴。
不意に、温かな腕に包まれる。
寝起きの少し乱れた髪ごと、彼の温もりに包まれる。
「独りにして、すまなかった……」
急な取り次ぎだったから、依頼人と早朝に今日の段取りの詰めをしてたと彼は言う。
深夜遅くに一度戻ったのだと。
そして、眠っているあたしを起こさないよう、隣で暫く身を休めたのだと。
いつもの、声だ。
いつもの、トーンの低い彼の声。
でも、あたしを心配する、心のこもった声。
「ううん」
違うの。大丈夫なの。
手を伸ばし、彼の背中に回す。
嬉しいの。
あなたが生きていることが。
あたしは独りじゃないんだということが。
当て処もない旅だけど、それでも、
その旅ができることが嬉しい。
二人なんだということが。
どうすれば、あなたは幸福に包まれる――?
ううん違う。
あたしがあなたの傍にいたかったの。
あたしが、こんなにも、あなたのことが好きだったの。
あなたなしではいられないくらい。
一緒にいることで、幸福を感じていたの。だから。
泣き笑いのように顔を歪めた。
でもそれは、安堵の徴。
「――イザーク、」
その名を呼べば、いつだって幸福感に満たされた。
――大好きなの……
言おうとした言葉は、優しい温もりに、吐息ごと包まれて――
あなたとの時を、また、刻んでゆく。
END
あとがき
拍手御礼、なんと四年振り。
絶句以外の何モンでもなし……
久々の拍手御礼がこんな話で恐縮です。
鬱屈やら悶々やら体調不良やら気の疲れやら、なにやらかにやらとありまして…
でも多分次には、マシな精神状態で浮かんだヤツが書けるだろう…と思います。
…と言いながら、所々に掬い上げる文言を足しました(苦笑)
草稿はもっと暗かった…orz
掛け合い…という意図でもないのですが、『護り人』のイザークさんの心情に些か似た感じか。もっとも時軸が違うので、単純には比べられないのでありますが。
この時はまだ旅も浅いけど、似たような心情になれちゃうお二人さん…ということにしとこう。うん。
イメージが違ってましたら、ご免なさい…
夢霧 拝(11.04.22)
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