今日の空は晴れ渡っている。正午を目前とした太陽は、冬だというのにギラギラと輝いていた。
 それはまるで月島司(つきしま・つかさ)の心情のようだ。
「後、四分」
「それは正午まででしょ。そっから出てくるまでに五分は掛かる。せやから、後九分ってとこですね」
「うるせぇよ。正午になったら俺は待ち合わせ場所に行くんだ。もしかしたら一分で出てくるかも知れねぇだろ」
「今までそんな事なかったでしょ」
「本当、お前は可愛くねぇな」
 セダンの助手席から投げられた声に、月島は眉を潜めた。冷たい声音の関根(せきね)は、前を向いている為に見えないものの、澄ました面持ちを浮かべているに違いない。そもそも今という時間に不満を持っているようで、嫌味な言葉は刺々しい。
 若頭補佐の彼にとって、若頭である月島は直属の上司だ。だというのに、関根は日常的に慇懃無礼としか言いようのない言葉を並べる。
 ヤクザとして、若頭という立場として、目下の腹心にそのような態度を取られるのは当然のように腹立たしさがある。しかし、彼との付き合いが長くなり性格を理解している事、何だかんだで月島の我が儘に付き合ってくれる事もあり、嫌味の一つや二つは目を瞑っていた。
 月島の「用事」に付き合う形で関根の職務時間は圧迫されている。それでも彼は確実に仕事をこなすのだと、月島は知っていた。結局のところ、頼れる腹心であるのは間違い無い。
「後一分。そろそろ行くか」
「あ、月島さん。今日もいつもんとこで良いんですよね?」
「あぁ、そうしてくれ」
「解りました。今から関根さんをJRまで送って、出来るだけ早よ向かいますね」
「俺は一時まで戻らねぇよ。じゃぁな」
 月島が後部座席の扉に手を掛けると、運転席から宮園(みやぞの)が振り返った。
 金に近い髪色の宮園はどこからどう見てもチンピラという風貌だ。しかし、商社マンを気取っている関根よりも礼儀がなっている。
 従順で素直。関根と比べてしまえば、どうにも可愛いらしい。それはもちろん容姿の話しではなく、子供や犬に覚える感情に似ている。
 今は運転手や小間使いに使っている宮園だが、いずれは大きな仕事を任せたいと考える程度には、彼を買っていた。
「……そろそろか」
 自分で扉を開け、車から降りる。下町情緒溢れる川沿いの路肩から、路地に向けて歩き出した。
 此処には週に二度、多ければ三度は訪れる。見慣れた風景、見慣れた道。
 すぐに辿り着いた目的の自動販売機前で立ち止まると、月島は歩いて来た道を振り返った。人気(ひとけ)がなく、既に愛車の陰もない。チラリと見た腕時計は、正午を少し回ったと教えていた。
「もう、少しだな……」
 何度繰り返しても、そわそわする。気ばかりが急いて落ち着かない。
 早く、会いたい。
 彼に会えない時を非常に長く感じ、会っている間は一瞬のように過ぎ去っていく。特定の個人に対し、このような感情を持ったのは初めてだ。
 角の一点を見つめ続けていた月島は、一つの人影を見つけた途端に胸の鼓動がドキリと大きく鳴った。
「……、景(けい)!」
「あ……、つ、月島さん……お、お待たせしました」
 息を切らせながら、小走りに。
 ブラウンのコートを身に纏った青年が、黒髪を揺らせながら月島に駆け寄った。今日もいつもと変わらずに可愛い。
 冬の冷気で頬を赤く染めながら、景は静かに笑ってみせた。
「いつも呼び出して悪いな」
「いえ、そんな」
 景は、可愛い。笑えば更に可愛い。
 その面持ちを見ているだけで幸せな気持ちになる。
 週に何度も時間を割いて此処まで来てしまうのは、ただただ景に会いたいが故だ。他に用や仕事もあるが、そちらの方がついでになっている。
 それ程までに、月島にとって大切な時間、大切な存在だ。
「行くか」
「はい。すみません、いつも忙しなぁて」
「いや。誘ってるのは俺じゃねぇか。気にするな」
 並んで歩き出す。日本人男性の平均的な身長の景は、月島よりも幾分目線が低い。それがまた、月島の庇護欲をかき立てた。
 会社員である景の昼休憩は一時間。その間に行って、食べて帰ってこなければならないとなると選べる店は限られており、気忙しさは否めない。
 しかし、それは月島にとっては些細な事だ。
「この間メンチカツ食べた店覚えてるか? 今日はそこにしようと思ってる」
「もちろん覚えてます。美味しかったですね。今日のも楽しみです」
「そうか。景が旨そうに食うのを見るのは良い。それでな、……あの……いや」
「どないかしましたか?」
「いや、あの……ディナーは、やっぱり無理か?」
「……え?」
 口を滑らせた。そうと思った時にはもう遅い。
 月島が口にしたと同時に、景は顔を曇らせた。困ったように眉を下げ、月島をチラリと見る。
 その面持ちを目にして、どうしようもないまでに月島は胸が痛んだ。景に、このような顔をさせたい訳ではない。
「……すみません、夜は、ちょっと」
「いやすまない。そうだな。知ってるのに何度も誘って悪い。気にするな」「ほんま、すみません。せやけど、この時間は……ランチを一緒にするんはほんまのほんまに嬉しいんです」
「景は、優しいな」
 正午から一時間足らずの時間。それだけが、唯一月島に許された景との逢瀬だ。それ以外の時間に景と会った事は、これまで一度もなかった。
 本心としては、時間を気にせず遠出をしてでも景に旨い料理を食べさせたい。昼と言わず、夜も朝も彼と過ごしたい。何度となく考えてしまい誘いもしたが、その度に景は謝るばかりだ。
 何故なのか。その理由すら、月島は未だに知らない。当然知りたいと思うものの、口を噤むばかりの景にそれ以上踏み込む事が出来なかった。
 景は、何を月島に隠しているのだろうか。休日や夜の時間をどのように過ごしているのだろうか。言えないばかりか、何故苦しげな顔をするのだろうか。
 無理にでも聞き出したいと思う一方で、眉を下げる景を目にするとそれ以上強い言葉が告げられなかった。
 景の顔を曇らせたくない。二人で居る間は、いつも笑っていてもらいたい。
 矛盾した感情が、いつも月島をむしばんでいた。
「笑ってくれ、景」
「……月島さん」
「飯を食おう。今日の日替わりもきっと旨い」
 景が可愛い。容姿だけではなく、その心も全てが。景が喜んでくれる事こそが月島の喜びだ。
 今は無理でも、いずれはもっと長い時間を過ごしたい。出会った時から、景が欲しくて堪らない。言葉を交わし知れば知る程、景を求める感情が増していた。
 路地を一つ曲がり、目的の飲食店が見えてくる。旨そうな香りを鼻腔に感じ、傍らの景に視線を投げながら月島は足を速めていった。

【愛を語る覚悟・ある日の正午・完】



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