拍手お礼/ルカセイ







――なんか、くすぐったい。


アイリッシュシーツの柔らかい肌触りと、優しく髪を梳かれる感触に設楽はゆっくりと瞼を上げた。

広い寝台の隣に横たわるのは琉夏。


片肘を付いた姿勢で、眠る設楽の髪へと手を伸ばしている。


「…ん、何…?」


明るさを抑えた室内灯に反射する金色が眩しくて、設楽は瞳を擦りながら小さく呟く。


「――起きちゃった?」


設楽が目を覚ましたことに気が付き、琉夏は瞳を細め蕩けそうな微笑を浮かべた。


「――お前が髪を触るから、目が覚めた」

「あ、ごめん」


だってセイちゃんの髪、触り心地がイイんだもん、と。

くるくるの髪を弄る指先を止めないで、悪びれない口調でそう嘯く。


「…眠れないのか?」


羽根枕に頬を付けたまま、設楽は少しだけ気遣うような声で問い掛ける。

すると琉夏は、小さく首を振った。


「……?」

「寝顔、見てた」


カワイイ、と。

見ているこっちが照れくさくなるような、優しい表情。

女子生徒が見たら悲鳴を上げそうなその顔に―――免疫は十分あるものの、寝起き、しかも至近距離でまともに対峙してしまい、さすがの設楽も言葉につまる。


「………」


設楽は頬を火照らしながら、黙り込むしかない。

その間に柔らかい髪の感触を楽しむように触れていた掌は、やがてゆっくりとその位置を移動させる。

天賦の音感が宿る耳から完璧なラインを描く輪郭を優しくなぞると、最後に微かに赤く染まった頬を撫で上げた。


――くすぐったい。


設楽は目を細め、微かに身を捩る。

その様子に小さく笑いながら、琉夏はふと「天使の髪だ」と呟いた。


「……は?」

「セイちゃんの髪って、天使の髪みたいだね」

「……何が天使の髪だ」


こんな髪、と。

設楽は嘆息しながら、自らの髪に触れる。

傍から見たらどうだか知らないが、おさまりの悪い癖っ毛は設楽にとってリスクしか発生しない。

雨の日も風の日も、小さな頃から碌な想い出が無かった。


「キューピー、とか変なあだ名まで付けられて、散々苛められたんだ。良いわけあるか」

「ハハッ、そう言えばそう呼ばれてたねセイちゃんて」

「付けたのはお前達だろ!お前と琥一だ!」


お蔭で給食でマヨネーズが出るたび、クラス中に笑われたものだ。

本当にこの兄弟はタチが悪い。

拗ねた設楽の表情を見ながら一しきり笑うと、琉夏はふと思い出したように「そういえば」と口にする。


「…俺、セイちゃんに初めて逢った時、天使が降りてきたと思ったよ」

「…はあっ?」


設楽は思いっきり眉根を寄せる。

イルカや天使のマスコット。

普段から琉夏が案外可愛いものを好むことは勿論知っている。

でもこの言葉には、設楽としても呆れるしかない。


「――本当だよ」


しかし口唇から笑みを消すと、琉夏は少しだけ真剣な口調で言った。


「……琉夏?」


だって、


「――俺が悪い子だから、本当の親が天国から天使を遣わせて俺を見張ってるんだ、って」

「………お前…」



設楽は息を呑んだ。

琥一に連れられた琉夏を初めて見た時、彼は両親を事故で亡くしたばかりだった。

絶望と空虚に彩られた瞳を見て、子供ながらに身体が震えた事を思い出す。

琉夏は設楽の前では決して涙を見せなかったが、それでもずっと苦しんでいたのだろう。

視線の先で、琉夏は静かな口調で続ける。


「――だから俺、セイちゃんの前で泣いたりしたら、父さんと母さんに云いつけられるかもって――馬鹿みたいだな」


まあガキが考えることだからね、と。

何かをふっきるようにそう言って、琉夏は小さく肩を竦める。


――知らなかった、と設楽は思う。


自分を見て、琉夏がそんな事を考えていたなんて――全然知らなかった。

設楽は胸が痛くなって、口唇を噛んで俯く。

琉夏は何も言わずに、ずっとそんな設楽の頭を撫でていた。

カチコチと時計の針の音だけが妙に大きく響く。

やがて琉夏は、気を取り直したように明るい口調で言った。


「ね、セイちゃん――」

「――何だよ」

「あの時、初対面の時ね、俺セイちゃんに一目惚れしてたのかも」

「……はあっ?」

「だってセイちゃん、日曜の礼拝でよく見てた教会の宗教画の天使に超そっくりだった」


からかうようにそう口にする琉夏は、もういつもの琉夏で――その事に設楽は少し安堵した。

こんな時でさえ、俺を気遣うなんて――

本当に馬鹿な奴で、そしてそんな所が―――好きだ、と思う。

本人には死んでも言ってやらないけど。


「――そんな訳ないだろ」


設楽は赤い頬を隠すように、触れてくる手を煩そうに振り払うと、ふんと鼻を鳴らした。

琉夏は目を丸くする。


「なんで即否定」

「俺のこと好きだったら、キューピーとか言って苛めるか!」

「……成程」


妙に納得した顔を呆れたように見て、設楽ははあっと大きく息を付いた。

大体何で俺が、幼児の愛玩人形なんだ、と。

似てるのは髪質だけだろ、なんて思いながら。


不貞腐れて毛布を被ろうとした手が、琉夏のそれで止められる。


「――っ何だよ、」

「でもさ、セイちゃん知ってる?」


楽しそうな口調。

柔らかい髪へもう一度愛しげに触れながら、琉夏はそっと口唇を寄せてくる。



「――キューピーって、キューピットの略なんだって」


囁いた声は、天使のそれのように甘かった。










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