― ホップドロップ ―
アドリビトムの夜は早い。
所属人数が増えていくと共に依頼される仕事も増えていき、重ねられていく実績がまた新たな依頼を呼ぶ。ひっきりなしに依頼へ出かける人間と帰る人間が入れ替わるのはもちろんのこと、なかには数日かかる依頼を終えて帰ってきてホールで倒れる者も少なくない現状では、夜とは騒ぐ時間ではなく身体をしっかり休める時間だった。他にも育ち盛りの年少者が多いこともあって船全体の消灯時間はリフィルによって決められている。
現在は午後11時過ぎ。消灯時間を2時間も過ぎた廊下には歩く人影もなく、ぽつぽつと灯った灯りを頼りに歩いているのはクレスだけだった。
だが、消灯時間といっても部屋ごとに見回りがあるわけでもなければ、部屋から出るだけで厳罰ということもない。安眠妨害になるほど騒ぐのは禁止というだけで、耳を澄ませば密やかなざわめきはどこからでも聞こえてくるのがアドリビトムの夜だった。
誰にも会わないままクレスは自分達に宛がわれた部屋に戻ったが、珍しいことに扉の向こうは人影どころか灯りも無い。
アーチェは今朝からブラウニー坑道へノーマ達と探索に行ってしまった。ミントは夕食後にシェリアと一緒にカノンノの部屋へ行くと言っていたから、今頃はまだ女の子同士の話に花を咲かせているのだろう。
クレスの足は寝室へと向かい、ノックをせずに中へと入る。
明かりを点けっぱなしにしておいた寝室だが、二つあるベッドは両方とも空っぽだった。
「…どこに行ったんだろうなぁ」
困惑が求める相手は同室のチェスターだ。
クレスが依頼を終えて帰ってきたのは、ほとんどの者が夕食を終えている時間だった。帰ってすぐに大浴場、そして食堂、という順路を辿ったために自室に戻ったのは消灯時間を過ぎてからで、そのときから姿がない。しばらくは寝室で剣の手入れをしながら待っていたが、そうして時間を潰した後でトイレに行っても未だにチェスターが帰ってくる気配はなかった。
「うーん…」
誰かの部屋に行っているのだろうかと思うと何ともやりきれない気分になる。常なら大して気にならないのだが、どうしても落ち着きがなくなってしまうのには理由があった。
ここのところクレスとチェスターは同室であるにも関わらずまともに言葉も交わしていない。喧嘩をしたわけではなく、単に互いの受ける依頼が重なっていたためだ。クレスが納品依頼のために聖地ラングリースを2日駆け回って船に戻ればチェスターはその数時間前にヴェラトローパへ行った、というような具合に忙しさの中ですれ違うばかりだった。
そんなこんなで顔を見るもののゆっくり話をする時間を持てないまま、もう一週間近くにはなるだろうか。毎日顔を合わせ、同じ部屋、ときには同じベッドで過ごす仲としてはたとえ短期間でも離れているのがもどかしい。
たまたま今日はクレスが帰る数時間前にチェスターも別の依頼から帰ったと聞き、まさか日も沈んでから新たな依頼に行くことはないだろうと思って先に風呂や夕食を済ませたのだが、部屋にいないのは予想外だった。てっきり向こうも同じ時間を過ごしたいと思っているものだと想像していたクレスはほんの少しだけ打ちひしがれる。
ただ、だからと言ってこのまま一人で眠るのは勿体ない。いっそどこかチェスターが行きそうな部屋を周ってこようかと悶々としているところにノックが響いた。
チェスターならばノックなどせず入ってくるはずなので、誰だろうと思いながらクレスは適当に身支度を整えて立ち上がる。
扉を開けた先にいたのは珍しい来客だった。
「よぉ。夜中に悪いな」
「ヒスイ?」
用を尋ねる間もなく、ヒスイはクレスの腕を掴むやいなや足早に歩いて部屋を出ようとする。
「待っ…あの、どこに―――」
「ちょっと18号室まで付き合え。飲み会してたらはしゃぎすぎたっつーか…そういうことだ」
18号室とはヒスイ達の部屋だ。どうやらコハクが他の部屋に泊まりに行ったので、夕食の後に予定のない男同士で簡単な飲み会をしたらしい。どういう偶然か今晩は船にいる者も多く、盛り上がったがゆえに現在も収拾がつかずに困っているという話だった。
言われてみれば顔が赤い、とクレスが見る先でヒスイは溜め息と共に前髪をかきあげた。
「バカシングはもう寝ちまったし、片付けもするとなるとそろそろ解散したいんだよな。素面の奴も少ないから手ェ貸してもらいたいんだよ」
「それは構わないけど…あ、もしかしてチェスターもそっちに?」
「最初は少ししたら帰るとか言ってたけど、今じゃすっかり出来上がってるぜ。いい加減に連れて帰ってくれよ」
「うん。わかった」
そういう事情ならば仕方がない。少ししたら帰る、と明言していた事実を聞けただけでクレスの気持ちは心なしか浮上した。
機関室を通り抜けて辿り着いた船倉では、いくつもの船室から明かりが零れていた。完全に消灯しているのはカイウスの部屋とアスベルの部屋だろうか。クレスが辺りを見回している間にヒスイは自室の扉に手をかける。
「おい、さっさと帰れよおまえら!」
扉を開けたことで廊下に微かに漏れていたざわめきと明るさが一気に増大する。見渡す室内はよくわからない熱気に包まれていて、どこから持ってきたのか酒の瓶や空のグラスが転がり、その横についでのようにして何人かが転がっていた。
「うぅ~ん、コハク…」
「なぁ、いい加減に帰ろうぜ。ゼロス。俺もう眠いんだけど」
「え~夜はまだまだこれからじゃんよ~。ハーニーぃー」
ソファから落ちたのか床でクッションを抱きしめて熟睡しているシング、ロイドにまとわりつくゼロス、その側で盛大ないびきをかいて眠るスタンにはご丁寧に額に落書きまでされている。その中でもロイドはクレスと同じように素面要員として引っ張られたのだろう。欠伸を噛み殺しながらゼロスの腕を引き、クレスと目が合うと肩をすくめてみせた。
そんなふうに倒れている数人と少し離れた位置では、リッドが持って来たのかウィスを楽しんでいる面々がある。ここでようやく目的の人物を見つけたクレスは笑みを浮かべようとして、しかしそのままぴたりと固まった。
酒で体温が上がっただけでなく、部屋の中の温度まで高まっているせいかほとんどの者は上着を脱いだり袖を捲ったりと自身で調節をしている。スパーダとリッドの間に座っているチェスターも例に漏れず、上着もスカーフも乱雑に投げ捨て、首筋や腕はもちろんのこと足までも裾を捲りあげて膝まで晒していた。冷静に考えれば大した露出でもなんでもないが、ここしばらくまともに接することができなかったクレスにしてみれば久々の再会は割ととんでもなかったりする。
「んぁ~…どうすっかな、これ…」
「おまえ、さっきから寝そうになってるだろ」
「わり、カード見てっと頭がボーっとしてきて」
しかもそればかりか、順番が回ってくる何回かの内に結構な頻度でチェスターが隣のリッドの方に傾いて寄り掛かっている。ゲームからあがったリッドは持ち札も無く気にしていない様子だが、特に仲の良い相手だからか単に酔っているだけなのか隙だらけの様子はクレスにしてみれば気が気でない。
「チェス――」
「っしゃぁー!勝った!!」
呼びかけようとしたところを遮ったのは拳を振り上げたスパーダだ。案の定というべきかチェスターは負けたらしく、カードを放り投げて呑気に欠伸をしている。勝ち負けにこだわる負けず嫌いな性格も酔いがまわっていてはどうでもよくなるようだ。くぁ、と伸びをして彷徨った視線がクレスを見つけ、眠たげだった瞳が途端に笑みに変わる。
「クレス!帰ってたのか!」
そんなことを満面の笑顔で言われてしまっては、いつになく機嫌が良さそうな様子にクレスは今度こそ頬を緩ませずにいられなかった。
ヒスイがシングを蹴り飛ばして床の片付けを始めたのを視界の端に捉えつつ、チェスターのところまで歩み寄る。
「ただいま、チェスター。もうこんな時間だから、そろそろ部屋に戻ろうか」
「時間…あー、マジか。ごめんな。すぐ帰ろうと思ってたんだけどよ…」
「いいよ。楽しかった?」
「んー、まぁな」
ここのところ依頼が詰まっていた身としては、こうして完全に気が抜ける場所は心地良かったはずだ。考えてみれば自分が帰ってくるまで部屋でただ一人待っているよりもこの方が良かったのだろうと思い直し、クレスは機嫌良く酔っているチェスターを立ち上がらせようと腕を引いた。
だが、それは再びスパーダの声に遮られてしまう。
「待てよクレス。こいつ最下位だから一発芸って決まりだぜ」
「一発芸?」
「ガルドも何も賭けないでゲームしたって面白くないだろ。負けた奴は一発芸なんだよ」
既にウィスの勝負は五回戦以上行われていたらしく、これまでにもリッドによるファラのモノマネであったり、ヒスイがシングの頭に乗せたオレンジを目隠しで射貫くなどなど、ある意味では罰とも取れるような一発芸大会があったようだ。
だが、チェスターが一発芸とは何をする気なのだろう。クレスが疑問に思う隣では本人も首を捻っている。
「一発芸か。どーすっかなぁー」
「あ、弓使うのは禁止な」
「なんでだよ?」
「ヒスイの二番煎じになるだろ? なんかもっとこう、別な面白いやつ見せてくれよ!」
「おもしろい…?」
ティトレイが楽しそうに縛りを入れてしまえば選択肢はより狭まってしまった。酔いで頭が回らないのかチェスターは困り顔だ。助け舟を出そうかと少しだけ迷ったクレスだったが、ダジャレは一発芸に入るものなのだろうかという疑問が残る。
そうこうしている内にじれったくなったのか、スパーダは答えを待つことなく意地悪そうに唇を吊り上げた。
「だったらよォ、いっそ脱げばどうだ? 最近体付きがどうこう言ってんなら丁度いいじゃん」
「そういえば空き時間見つけてはセネルとトレーニングしてるよな。鍛えてるのか?」
「え? あー…まぁ、そうだな」
ロイドの興味とチェスターの返答も手伝い、段々と他の面々の視線も集まっていく。
しかしどう見ても、側にいるクレスや、近くに座っているリッドとスパーダよりもチェスターの体格が優れているとは思えない。おまけに酒が入って普段は鋭い切れ長の瞳や乱暴ともとれる口調がほわんと緩んでいれば尚更だ。
「鍛えてるって言っても、一日やそこらで変わるか?」
「下手したらキールより色白いもんな。おまえ」
「だいたい、接近技もないならそんなに筋肉がついてなくても普通じゃないのか?」
ギルドの中では割合親しいロニやリッド、果ては同じく弓を扱うティトレイにまで軽くあしらわれてしまえば周囲の空気からも期待は薄まる。これで変な方向に流れずに済むと安堵したクレスではあったが、その認識は甘かった。
親しい仲であればこそ、負けず嫌いな性分を煽る方法は簡単だということなのだ。案の定とも言うべきか驚くほどの単純さでチェスターは乗せられた。
「うるせぇ!だったら自分の目で見て驚きやがれ!」
「お、いいねェ。見せろ見せろ!いっそ全部脱いじまえ!」
「ちょ、ちょっと、チェスター!? 待てってば!!」
完全に遊んでいるスパーダの声掛けにも俄然やる気になったらしく、チェスターはクレスの手も借りずに立ち上がるとベルトに手をかけた。脱ぐにしてもなぜ下から脱ぐ、と慌てふためいたクレスは咄嗟にその手を押さえる。
その間にも周りからは酔っ払い特有の不可解な盛り上がりで脱げコールが掛かり、野郎の脱ぐところなんか見たくないというゼロスの悲鳴や、シングの寝言、スタンのいびきがそこに混ざり合っている。完全に修羅場だ。
素面のクレスはあまりに混沌とした場に呑まれそうだったが、チェスターはといえばそんな親友に対してふふん、と挑戦的に微笑んだ。
「なに、もしかして俺が脱ぐから妬いてんの? ん?」
「それは…」
当たり前じゃないか、と全力で言いたかったがこの場で言えるはずもない。直球で嬉しそうに問いかけるチェスターは常では滅多に見られない眼福ものであっても、ここで流されれば明日の朝に大変なことになるのは目に見えていた。
ここからどう言えば機嫌を損なうことなく脱ぐのをやめてくれるかとクレスが必死に頭を働かせる横で、立ち上がったスパーダがチェスターの肩に腕を回す。
「おまえなァ、クレスが妬くわけないだろ? おまえが脱いでも周りにがっかりされるからやめろって気ィ遣ってんだよ」
「…そうなのか?」
スパーダはどうあっても場を盛り上げる方向に持っていきたいらしい。いいように操縦されているチェスターから据わった目を向けられたクレスは勢いよく首を振った。
「違うよ!違うけどやめてほしいんだって!」
「違うなら止めるなよ!だいたい、おまえは俺の裸なんか見慣れてるだろ!嫌ってほどいつも見てんじゃねぇか!!」
しん、と一瞬だけ部屋の中が凍りつく。
「あ、えっと、違――あぁ!うん!着替えとかシャワーとか大浴場での話だから!!」
「んなことわかってるっつーの」
「今、確実にとんでもない顔してたぞおまえ…」
裏返った声で必死になって否定するクレスに向けられるのは冷めた顔か引いた顔かのどちらかだ。爆弾を投げ込んだチェスターはその反応にむっとした顔をするばかりで、自分が何を言ったかなど全く気にしていないらしい。
「とにかく、脱ぐのはやめて他のことにしなよ」
「…わぁったよ。じゃあ俺もモノマネにするか」
渋々とそれは受け入れられたが、そうなれば次は一体なんのモノマネをするのかとクレスも心からの安心はできない。なにせ現在のチェスターの警戒心や危機意識はゼロ以下なのだ。先程のようにぽろっと自分達の関係を見透かされるようなことがあってもおかしくないので、むしろ今ではクレスにこそ尋常ではない緊張感が漂っている始末だった。
そんなことなどお構いなしに、よし、と楽しそうに頷いたチェスターはいきなりクレスの手を自分の両手で包み込むように握りしめた。
そして唇が触れ合うのではないかと思う程にぐっと顔を近づける。
「クレスさん!こんなところに傷が!」
「え、傷?」
「無理をしてはいけませんっ。きちんと治療しないと…」
突然のモノマネ劇場にクレスは戸惑いを隠せない。どうやら対象はミントのようでお世辞にも似ているとはいえないものの、一応は頑張っているのか声は一段階ほど高かった。女の子というよりも少年の声になってしまうのは仕方ないが、声変わり前のチェスターをどことなく思い出したクレスには懐かしくもあり気恥ずかしくもある。
握られた手の熱いぐらいの体温。薄い熱色に染まっている頬。ここが自室であったならとクレスの鼓動は跳ね上がった。
俯きがちから上目遣いに見つめてくる瞳は部屋の照明を反射してきらきらと輝いている。
「ええと、母なる、優しき…?」
チェスターはミントの法術の詠唱を思い出そうとする。しかし戦闘中で余裕がない普段にはじっくり聞く機会もないのでそこから先は全く知らなかった。
しばらくクレスの手を握ったまま悩んだ挙句、仕方がないから対アミィ用の宥め言葉でもいいかとチェスターは照れたようにはにかんで小首を傾げた。
「いたいの、とんでけー」
ぷつ、とクレスの中で何かが弾けてなんだかもう色々と限界だった。
「うわぁぁっ!!」
「ク、クレスがオーバーリミッツしたぞ!」
「あれでかよ!?」
突如としてクレスの周囲に炸裂した闘気とも煩悩ともつかないオーラに部屋の中は大騒ぎだ。
あんまりな出来に腹を抱えて爆笑するスパーダや目を丸くするリッドと並んで、クレスは何やら声にならない様子で悶えている。チェスターは周りの爆笑や騒ぎよりも親友の姿を見て不思議そうにきょとんとするばかりだった。
「あいつら、たまに腹立つくらい可愛いよな」
「そうだね」
ここまで部屋の隅で手製の甘味やつまみを黙々と嗜んでいたユーリとフレンが頷き合う。
やれ酒瓶が割れただの笑い過ぎて息ができないなどと騒々しい部屋で、次に響いたのは扉を粉砕せんばかりの轟音だった。
扉を蹴り開けたのは遺跡モードかと見紛う形相のリフィルだ。
「あなた達、何時だと思ってるの!?」
かくして宴会は強制終了させられ、翌朝のホールでは全員が正座させられていたとか。
アドリビトムは本日も平和である。
…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
わいわい賑やかな感じで、マイソロ3だったりクレチェスだったりの宴会話でした。
十代後半~二十代前半の男性陣で賑やかなのが好きそうな方々で集まって、たまに夜更かしして仲良く遊んでいればいいのになぁ、という願望ですv
あとはTOPのドラマCDでチェスターがミントの真似をしていたのが可愛くて、酔わせてやらせてみたかったという…(笑
あの台詞は悪ふざけですが、もしアミィちゃんに実際ああいうことを言っていたことがあったらと思うと蒸発します。萌えで。
それでは、拍手ありがとうございました!!
ツッコミや感想などコメント頂けるとこれ以上ないくらい幸せですv
なお頂いたコメントには翌日もしくは近日中に日記で返信させていただきます。
百合樹